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【社会】

慰霊の旅 平成築く 「戦争の記憶 風化に危機感」

2005年6月28日、サイパンのバンザイクリフの崖を望める展望場所で黙礼される天皇・皇后両陛下=代表撮影

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◆前侍従長・川島さん 象徴天皇の意義語る

 天皇陛下は即位後、皇后さまと共に国内外で戦没者慰霊の旅を続け、海外では太平洋戦争の激戦地となった米国自治領サイパン、パラオ、フィリピンを訪問された。前侍従長の川島裕さん(75)は「戦争の記憶が風化することに、強い危機感をお持ちだった」と振り返り、具体的な行動で平和を追求してきた象徴天皇の意義を語った。

 川島さんは在任中、一九三七(昭和十二)年七月の日中戦争勃発時、葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在していた昭和天皇が海軍の軍服に着替え、急きょ帰京したのを覚えていると陛下から聞かされた。当時の陛下はまだ三歳。「戦争の当事者的な記憶が節目、節目ごとにある。多くの人が亡くなったことを痛ましいと思っておられる」

 初の海外への慰霊の旅となったサイパン訪問は、二〇〇五年六月。式部官長として同行した川島さんは「重い旅だった」と述懐する。米軍に追い詰められた多くの日本人が崖から身を投げた「バンザイクリフ」の前で、両陛下は深々と頭を下げ、犠牲者を悼んだ。その後ろ姿を撮影した写真は「平成を語る一枚だ」と、強く印象に残った。

 両陛下は、事前公表の日程にはなかった韓国人犠牲者の慰霊塔も訪れた。当時、韓国人住民の一部が天皇陛下に謝罪を求めて抗議活動をした。しかし「あの後、静かになった」という。

 パラオ・ペリリュー島の訪問(一五年四月)の前には、生還した元日本兵の二人を皇居・御所に招いた。陛下は東日本大震災の被災地を訪問した影響で風邪をひいていたにもかかわらず、冒頭の短時間二人と会った。その後を引き取った皇后さまは長時間、体験談に耳を傾け、二人が御所の長い廊下を退出するのをずっと見送っていたという。

 約一年半後に終わりを迎える平成という時代。川島さんは「陛下が皇后陛下とお二方で築き上げた」と語る。

 そして退位後の過ごし方についてはこう願う。「上皇(じょうこう)、上皇后(じょうこうごう)として人生をエンジョイされる姿は、同世代の人びとにとって励みになる。時間はたくさんあるので、素晴らしい時間を過ごしてほしい」

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<かわしま・ゆたか> 1964年、外務省入省。イスラエル大使、事務次官などを経て03年、宮中儀式や海外との交際を取り仕切る宮内庁式部官長に就任。07年、平成に入って3人目の侍従長に就任し、約8年間務めた。

 

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