東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 12月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

<象徴天皇と平成>(2)負の歴史にも向き合い 満蒙開拓平和記念館副館長・寺沢秀文さん

満蒙開拓平和記念館で寺沢秀文さん(右)から展示物の説明を受ける天皇、皇后両陛下=長野県阿智村で、2016年11月17日

写真

 「自決するため仲間と石で殴り合ったが、自分だけ生き残った」。厳しい表情で壮絶な体験を話す満蒙(まんもう)開拓団の元団員たちに、天皇陛下は言葉をかけられた。「こういう歴史があったことを経験のない人にしっかり語り継いでいくことは、とても大切だと思います」

 二〇一六年十一月十七日。天皇、皇后両陛下は、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」で三人の元団員と懇談した。いずれも戦前、旧満州(現中国東北部)に入植した。二人は引き揚げ体験を語る活動をしていた。両陛下は真剣に耳を傾け、「ご苦労されましたね」とねぎらった。

 案内役を務め、懇談に同席した記念館副館長の寺沢秀文さん(63)は胸が熱くなった。「開拓団は、国に見捨てられた『棄民』だった。両陛下にお越しいただいたことで、これまでの活動が報われた」

 長野県は開拓団に都道府県で最多の約三万三千人を送り出した。このうち約一万五千人が旧ソ連参戦後、逃避行での集団自決や、収容所内での飢えや疫病、寒さで死亡した。記念館はその悲劇を後世に伝えようと、一三年に開館した。

 両陛下はこれまでも、引き揚げ者が戦後に開拓した土地へ足を運び、住民と交流している。関係者によると、満蒙開拓団を扱ったドキュメンタリー映画のDVDも御所で見ており、記念館の開設を知ると、訪問を希望した。宮内庁幹部は「外地で苦労した人びとの話に耳を傾け、平和の尊さをあらためて感じたいとお考えになったようだ」と話す。

 寺沢さんは戦後生まれだが、両親は元開拓団員で、引き揚げ中に一歳だった兄が亡くなった。両親からは、つらい体験と合わせ、「中国人に申し訳ないことをした」と聞かされて育った。入植地は中国人の土地を強制的に安価で買い上げたものだったが、両親はそのことを後で知ったのだという。

 記念館の開設に携わる中で、引き揚げ者からは、侵略の歴史や大きな犠牲を生んだ過去に触れられたくないという声も聞いていた。「昨年夏に両陛下の訪問が決まった時は、負の側面にも向き合っていただけるのだという感謝と、驚きの気持ちが同時にわいた」と率直な心情を明かす。

 語り部の高齢化が進み、現在は十人と、四年前の開館時から半分に減った。最高齢は九十五歳。入植当時、子どもだった人でも八十歳を超える。来館者の数は減少傾向だった。だが、両陛下の訪問が報道されたことで六割ほど増え、修学旅行生の姿も目立つ。若い世代が語り部を引き継ぐ試みも始まった。

 寺沢さんも本業の不動産鑑定士のかたわら、講演や来館者へのガイドなど、これまで以上に精力的に動いている。「これからもこの歴史をしっかりと伝えてください」。来館時の陛下の言葉に「背中を押された」と強く感じているからだ。 (小松田健一)

<満蒙開拓団> 旧満州と内モンゴルに入植した日本人移民団。疲弊した農村の人口を減らし、北方警備の盾とする意味合いもあった。1932年から終戦までに約27万人が入植。45年8月9日の旧ソ連参戦で、避難する際に命を落とした開拓団員も。親と死別・離別した多数の子どもは残留孤児となった。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報