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【社会】

子ども見守り70年 児童福祉法 

 戦争で両親を亡くした子どもたちが路上で生活していた戦後、一つの法律が生まれた。子どもたちの生活を保障する児童福祉法。十二日で制定から七十年を迎える。戦争、貧困、虐待…。時代とともに子どもを取り巻く環境が変わる中、ずっと未来を見守り続けてきた。 (木原育子)

 「あの時、おにぎり一つで救えた命が無数にあった」。横浜市緑区の金子トミさん(87)は、涙ながらに振り返った。

 十五歳の時、終戦五日前に疎開先・山形での空襲で両親と妹を亡くした。弟、妹と故郷の城東区(現東京都江東区)に戻ったが、東京大空襲で一面の焼け野原。家はなかった。上野駅の地下道で数カ月過ごした。

 誰も助けてくれない。「世の中は鬼ばかりだ」と思った。わずかなお金で買ったサツマイモを分け合った。見ず知らずの痩せた子に「少しちょうだい」と言われたが、そんな余裕はなかった。数日後、動かなくなった小さな亡きがらを、忘れたことはない。

 こんな子どもたちを救おうと、一九四七年十二月に児童福祉法が制定される。国の調査で四八年に孤児は全国で十二万三千五百人。同年、東京都が施設に収容した子どもの数は六千二百人との記録が残っている。

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 それから約三十年後。

 小学一年生だった会社員吉江英利さん(44)は、都内の児童養護施設に入所した。六歳で両親が離婚し、一緒に暮らしていた母が病気になったためだ。

 「母が迎えに来てくれる」と最初は期待したが、次第にあきらめた。それでも児童養護施設で生活できる安心感と、親類の面会は支えになった。

 「普通のサラリーマンになりたい」と、高校卒業後は印刷会社に就職。社会人になった後も、「何かあったら連絡ください」と書かれた施設職員からの手紙に励まされた。その施設は児童福祉法が土台になっている。「故郷も実家もなかった。でも、どこかで誰かが見ていてくれると思うと安心できた」

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 吉江さんは二十九歳で結婚し、今は三児の父。五年前から、自分の経験を講演などで話している。「誰かの心に何か引っかかりを残せたら」との思いからだ。

 一方、金子さんは結婚して子どもも授かったが、夫には当時の経験を打ち明けることはできなかった。「惨めな姿を知られたくなかった。法の理念を理想で終わらせず、二度とこんな子どもが生まれない社会をつくってほしい」

 金子さんら戦争孤児十一人の体験は、荒川区の星野光世さん(84)の絵本「もしも魔法が使えたら」(講談社)で紹介されている。星野さんも戦争孤児だった。「子どもを中心に助け合える社会を。戦争と引き換えに得た法律ですから」

 <児童福祉法> 戦争孤児らの生活を保障する目的で、1947年12月に制定され、これまでに2回の大幅改正が行われた。97年には保育ニーズの多様化を踏まえ、保護者が保育所を選択できるようにし、2016年には児童虐待の急増に対応するため、児童相談所の機能を強化した。第1条では、児童が適切な養育や生活の保障、愛され、保護されること、自立が図られることなどについて「等しく保障される権利を有する」と規定している。

 

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