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【社会】

<検証 南スーダンPKO> (3)途切れた部隊参加 「日本モデル」に誤解

「日の丸」シールを剥がした給水車=2012年7月5日、南スーダンの首都ジュバで(半田滋撮影)

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 「自衛隊は日本政府の仕事をしているのか?」

 南スーダン派遣が始まって間もない二〇一二年、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加している他国部隊の中で、疑心暗鬼が広がった。

 自衛隊が派遣された首都ジュバでは、日本の内閣府と外務省、自衛隊、国際協力機構(JICA)の四者による連絡会議が週一回の割合で開かれていた。日本の非政府組織(NGO)のメンバーが参加することもあった。

 官民挙げて連携する「オールジャパン」。この取り組みが誤解を招いた。

 南スーダンに派遣された陸上自衛隊には、施設部隊とは別に現地支援調整所という名前の「制服の外交団」があった。隊員二十人が施設部隊の請け負う工事を探し、日本の政府開発援助(ODA)を活用して南スーダンの復興を加速させる仕組みだ。

 典型例はジュバの水道改修事業。JICAが無償資金協力で浄水施設をつくり、自衛隊が敷地造成を受け持つ。ただ、これだとODA事業になってしまう。

 そこで現地支援調整所が地元政府に「自衛隊を使いたい」とUNMISSに言うよう仕向けた。UNMISS司令部は地元政府の意向を了承。事業はUNMISSをかませることで国連平和維持活動(PKO)となり、成功裏に終わった。

 初代の現地支援調整所長、生田目(なまため)徹一佐は国連日本政府代表部で三年の勤務経験がある国際協力の専門家でもある。

 「PKOはまず治安を回復し、次に人道支援、復興支援に移るので長い年月がかかる。施設作業をしている間に次の仕事が決まれば、切れ間のない活動が可能になる。次の仕事を探すのが現地支援調整所だった」

 仕組みを理解できない他国の部隊からは「日本が目立ちすぎる」などの批判が広がり、自衛隊は車両百三十台のバンパーから「日の丸」シールを外した。

 現地支援調整所は一年で廃止され、他国から批判される材料は消えた。自衛隊側は廃止理由を、表向きには「現地でのパイプができた」などとしている。

 帰国した生田目一佐は熊本県にある陸上自衛隊西部方面総監部の総務部長を務める。「海上自衛隊が海賊対処に派遣されているアフリカ東部のジブチ、そして陸上自衛隊がいた南スーダン。両国の間には治安が安定し、アフリカ連合(AU)本部が置かれたエチオピアがある。オールジャパンの会議で、この三カ国からアフリカ全体に平和を広げていこうと話し合ったのですが…」と残念そう。

 五月の部隊撤収により、二十二年続いたPKOの部隊参加は途切れ、次の派遣先は決まっていない。「制服の外交団」がPKOをけん引する「日本モデル」は立ち枯れるのだろうか。 (半田滋)

 

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