東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 12月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

<検証 南スーダンPKO> (4)日報問題直後に撤収 突然の幕引き

ブルドーザーで道路補修する施設部隊=2012年7月5日、南スーダンの首都ジュバで(半田滋撮影)

写真

 幕引きは突然だった。

 三月十日、南スーダンの首都ジュバ。国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の隊員が整列する前で、日本から来た柴山昌彦首相補佐官(当時)が活動の終了を告げた。

 「日本から情報はなかった。補佐官から訓示をもらってはじめて撤収を知った」と第十一次施設隊を率いた田中仁朗一佐。

 このころ日本では日報問題が騒ぎになっていた。廃棄したとされる施設部隊の日報が保管されていた事実が判明、野党は「隠ぺい工作だ」と追及した。稲田朋美防衛相(当時)が日報にあった「戦闘」を「衝突」と言い換えたことも問題視された。

 安倍晋三首相は自衛隊に死傷者が出た場合、「首相を辞任する覚悟はあるか」と野党に詰め寄られ、「そういう覚悟を持たなければいけない」と述べた。

 日報問題で勢いづいていた野党の追及も、撤収表明によりいったん、下火になった。

 現地の状況はどうだったのだろうか。昨年七月、ジュバで政府軍と反政府勢力との撃ち合いがあった。

 「十一月中旬に派遣されたころは毎晩、銃声が響いていた。十二月下旬になり、南スーダン政府が治安維持に本腰を入れると銃声はほとんど聞こえなくなった」と田中一佐。

 治安は劇的に改善され、第十一次隊は年明けから活動を本格化させた。

 補修した道路は約百八キロと第十次隊までの平均十五キロ弱と比べて最も長く、安全に活動できたことを裏付ける。孤児院の慰問など地元との交流もあった。これからというタイミングで、すべてを断ち切るように撤収命令が出されたのだ。

 菅義偉官房長官は派遣が五年を超えて長いこと、道路補修した距離が過去最長になったことなど実績面を撤収の理由に挙げた。

 だが、自衛隊が行ったのは砂利をブルドーザーで踏み固めるだけの簡易舗装にすぎない。現地のアスファルトは高額で国連予算では買えなかった。自衛隊が派遣された二〇一二年、南スーダン政府は「購入する」と請け合ったが、約束が守られることはなかった。

 現地は十一月から三月までは乾期、それ以外は雨期にあたる。田中一佐は「雨期を迎えると補修した道路が流されるので乾期にやり直す。その繰り返し」と打ち明ける。活動は復興に役立ったのだろうか。

 安全保障関連法の制定により、実施可能となった「駆け付け警護」「宿営地の共同防護」は「安保法が初適用された」という以外の意味はなかった。高い技術を誇る施設部隊は十分な成果を残せなかった。

 反省材料は多いにもかかわらず、南スーダンPKOは早くも風化し始めたようにみえる。 (半田滋)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報