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【社会】

湯川博士「原爆研究」記す 終戦前後の日記公開

湯川秀樹博士=1949年撮影(湯川家提供)

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 京都大は二十一日、日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士(一九〇七〜八一年)が四五年の終戦前後につづった日記を公開した。戦後はアインシュタインらと核兵器、戦争の廃絶を唱えたことで知られる湯川博士が、京都帝大に軍が依頼した原爆研究に関与した記述がある。一方で、終戦直後の社会の窮状に心を痛めていることも書かれている。 (勝間田秀樹)

 湯川博士と平和活動を共にした物理学者、小沼通二(みちじ)・慶応大名誉教授(86)は「博士の空白期間をうかがい知れる文化財ともいえる資料。戦争を考える材料に広く役立ててほしい」と話す。

 公開されたのは四五年一〜十二月のB5判ノート計三冊。湯川博士が初代所長を務めた京大基礎物理学研究所に、遺族が寄贈し、湯川博士の生誕百十年の今年に向け分析していた。

 日本の原爆開発は海軍が京都帝大、陸軍が理化学研究所に依頼。京都帝大の方は「F研究」と呼ばれたが、湯川博士は原爆開発に携わったことを公には語っていない。六月二十三日の日記には「F研究 第一回打合せ会」とあり、研究の中心を担った荒勝文策教授(一八九〇〜一九七三年)らとともに自身も含め十二人の名前を残した。琵琶湖のホテルに向かったと書いた七月二十一日について、小沼名誉教授は「F研究最後の会議だった」とみている。

京都大が初公開した湯川秀樹博士が終戦前後に書き残した日記の一部。1945年6月23日には原爆開発についての会議の記述がある

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 終戦後、東京や大阪で起きた大量餓死を「悲惨目を覆はしむる」と嘆き、新聞などから原爆や空襲の被害者数を詳細に書き写した。小沼名誉教授は「『誰に会った』『何があった』という淡々とした記述が多い中で非常にこと細か。思うところがあったのだろう」とみる。

 原爆開発への関与を疑われたのか。九月に米軍士官が訪れ、研究について質問されたと日記にはある。

 湯川博士は四九年、ノーベル物理学賞を受賞し、戦災から復興途上の国民に希望を与えた。

 日記は京大湯川記念館史料室のホームページで公開する。

 

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