東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (1)維新がもたらしたもの

「西郷どんなりきりコンテスト」に出場した人たち。西郷隆盛は今も鹿児島で慕われている=鹿児島県霧島市で

写真

 日本が近代国家として歩み始めた明治元年から、ちょうど百五十年。『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』などの著書で知られる歴史学者の磯田道史さん(47)に明治維新から大正、昭和、平成への時代のつながりを聞いた。(聞き手・中村陽子、清水俊郎)

 −はじめに、「明治百五十年」について、あるいは明治維新について、どうお考えですか。

 私は今年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当しています。歴史家として逸話を出していくわけですが、引き受ける時から、明治をひたすら明るい側面からだけ描くつもりはありませんでした。

 明治維新が、日本の社会にとって大きな変化、断絶であったことは事実です。節目を祝う立場ももちろんあるでしょうが、考え直す立場もあってよい。この機に、今に至る歴史のきっかけを見つめたらいいのではないかと思います。

 −それではまず、明治という時代の「明るい側面」から伺いましょう。

 たとえばこんなことを考えてみます。明治維新によって、私の家系である「磯田家」は得したのだろうか、損したのだろうか。私は、小さい頃は、すごく損したと思っていたんです。そりゃそうでしょう。先祖の家は、岡山藩の百二十石取りのお侍さんで、領地がありました。自宅は保証され、自動的に参政権どころか、執政権まである。それが全部とられて、すっからかんになったんですから。

 でも、いや待てよ、と、もう少し考える。もし私が江戸時代に生まれて、歴史学者になりたかったら、家を出て廃嫡(はいちゃく)(※注1)してもらわないと、なれなかった。

 当時の人たちは、商売をして楽しく暮らそうとか、天下を取ろうと思っても、思ったようにはできなかったわけですよ。でも今は、何をやってもいいですよね。江戸時代の身分制がなくなり、そういう個人の生き方の自由度が格段にあがりました。

 −しかし、明治に起きた変化によって、消えていった文化があります。

 私から見ると、今年は明治から百五十年であるのと同時に、江戸消滅から百五十年だという感覚があります。「江戸百五十回忌」とでもいいましょうか。この側面も、忘れてはいけないと思いますね。江戸の中にあったいいもの、明治維新によって失われてしまったものをよく認識する必要がある。悪いところもいっぱいあった社会ですけれども、学ぶべきところはたくさんありますから。

 日本は、維新で多様性を失ったともいえるのです。江戸時代には、藩によって重視する政策が異なり、身分制度の中にあっても、特徴に応じたさまざまな人材を出していました。今でいうダイバーシティですね。

 軍隊をつくる際も、当初は陸軍はフランスに、海軍はイギリスに学ぶというような多様性がありましたが、やがて国家のモデルをプロイセン・ドイツ型に統一します。だって「富国強兵」という国家目標に沿ったものを上から注入するという形で、効率よく変えるわけですから。雑木林のように豊かだったものを、一回崩れたら倒れやすい杉林のようにして、一気に西洋化を進めていきました。

 −維新で失った文化がある一方、現代まで根強く残る旧弊もあります。

 敗戦で完全に破壊されて、さらに自由な社会にはなったわけですが、現代に至っても、日本人の根っこの部分には、世襲での経路依存の体質がありますね。経路は来し方という意味です。会社などの組織でも、長く居る人に絶大な信頼を置くでしょう。たとえば入って三日で社長になる、というような例はほとんど聞かない。本当は社の外に、もっと会社を発展させる人材がいるかもしれないのに。働く人も、長く勤めていれば、当然偉くさせてもらえるという考えが、頭から離れていないですよね。

 −ドラマ「西郷どん」では、どのような歴史認識をベースに監修を?

 西郷隆盛は、明治維新に理想を持っていたけれど、最後は下野して、西南戦争(※2)で死にます。維新の暗い面、良くなかった面でもって、彼の人生は完結しているわけです。ひょっとしたら、後になって「こんなはずではなかった」と思っていたかもしれません。明治維新で政府に入った人が世襲を始めて、利権を分け取りにする。新政府のメンバーは破格の年収。一部の華族には、貴族院の議席まで世襲させるというのです。

 「四民平等」を掲げていたはずなのに、自分たちはどうして、議会の議席が世襲されるような制度を作る結果になってしまったのか。日露戦争の後には、百人もの人が爵位を授けられました。そういう政府ですから、結局、軍部の暴走を抑えられず、華族という制度そのものがなくなります。

 明治維新は、効率よく近代化、西洋化を進めるという面では非常に「うまく」働いた。中には特権を維持し続ける人もいましたが、個々人の選択を増やすという面でもいいふうに働いた。一方でそれは、植民地を持つことにつながり、東アジア諸国から恨みを買う帰結を迎えました。

◇ことば

 ※1 廃嫡…家督の相続人の相続権を失わせること。

 ※2 西南戦争…1877年2〜9月、鹿児島の士族らが起こした反政府の反乱。征韓論を巡る政変で下野した西郷隆盛が中心となった。

 <いそだ・みちふみ> 1970年、岡山市生まれ。国際日本文化研究センター准教授。慶応義塾大大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。専門は日本史、社会経済史。著書に『武士の家計簿』『無私の日本人』『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』など。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報