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【社会】

被災した私を育ててくれた 阪神大震災23年 児童施設17日閉館

閉館となる児童館「浜風の家」で、クスノキが描かれたボードに絵を合わせる女の子。右は藤本芽子さん=2017年12月23日、兵庫県芦屋市で

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 阪神大震災の後、子どもの心のケアに取り組んできた兵庫県芦屋市の「浜風の家」が、震災からちょうど二十三年となる十七日に閉館する。直木賞作家の故藤本義一さんが「子どもが自由に遊べる場所を」と寄付を募り、震災四年後の一九九九年にケアハウスとして開設。被災した子どもたちの「居場所」となり、その利用がなくなった後も地域の児童館として使われてきた。 (大阪報道部・豊田直也)

 土地を所有する兵庫県が「役割を終えた」と返還を求め、閉館が決まった。

 施設は社会福祉法人が運営。木造二階建て四百平方メートルで、グランドピアノやパソコン室を備え、子どもが好きな時に来て遊べる環境を整えた。

 当時、施設長だった同県尼崎市の奥尾英昭さん(78)は「学校が避難所になり、大人は生活再建に忙しく、子どもに気が回らない。だから、ここでは自由に遊ばせようと思っていた」。印象に残っているのが、施設の階段の下に段ボール箱を置き、その中にじっとこもっていた小学校低学年の女の子の姿。震災から四年がたっても、奥尾さんは「子どもなりにストレスを乗り越えようとしていた」と振り返る。

 世界的に活躍するジャズピアニストの松永貴志さん(31)も中学時代、浜風の家に通い、ピアノを弾いた。

 先月十五日に施設で開いた演奏会では、故郷への思いを込めて作った曲を披露した。

 松永さんは九歳の時に、芦屋市の自宅で被災。半壊した自宅から避難所に食料や水をもらいに行ったことを振り返り「当時はなぜ、みんながこんなに優しいのだろうと思っていた」と、周囲への感謝を語った。

 翌十六日にはかつての利用者らが浜風の家で「同窓会」を開催。小学三年から中学三年まで毎日のように通った芦屋市の契約社員松本智子さん(27)は「当時、大勢の子どもが一緒に遊べる場所はここぐらいだった。私を育ててくれた場所。閉館は寂しい」と話した。

 藤本さんの妻で社会福祉法人理事長の統紀子さん(82)は「当時の子どもが、もう親になる年ごろ。施設がなくなっても震災の時に助けられたことを忘れずに、助け合いの精神を次世代に継承してほしい」と願っている。

    ◇

 「浜風の家」では先月二十三日、子どもたちが活動への感謝や未来への思いを託した記念の絵を制作した。アーティスト活動をする義一さんの次女芽子(まいこ)さん(54)らが指導役となり、中庭の「希望の木」と名付けられているクスノキを描いた。

 絵は芽子さんらの手で完成させ、今月十四日に開催される閉館の記念行事で披露される。

<浜風の家> 兵庫県西宮市在住だった作家の藤本義一さん(1933〜2012年)が寄付を呼び掛け、無償貸与された県有地に、1999年1月に開設された。翌年1月には皇太子さまも視察され、2000年度は延べ1万2000人以上が利用。近年は6000人ほどに減っていた。17日に追悼行事を開く。

 

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