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【社会】

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (3)維新はどう芽生えたか

近鉄・伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫の像。はるかかなたを見すえている=三重県鈴鹿市で

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 −いくつかの藩では、ペリー来航以前から、すでに外国の危機を感じる経験をしていたのですね。

 一七〇〇年代末に、ロシアで暮らした大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)(※注)もいました。帰国してロシア人の格好で徳川将軍に会うわけです。その後は今の靖国神社(東京都千代田区)の場所にあった薬草園に隔離して住まわされるのですが、自由に人とは面会する。好奇心が強い学者たちと交流して、ロシアや西洋の知識をたくさん語りました。

 そんなこともあって一八二〇年ごろには、分かる人たちは、もう十分に外国の危機を感じていた。洋学を初期に学んだ学者は、西洋列強が強大な海軍を持っていることを、数量も含めて示しています。

 列強は早晩やってくる。日本じゃかなわないような海軍力と、新式の武器も持っている。対処するには日本が藩でバラバラに分かれていたんじゃ話にならないから、オールジャパンで一致結束し、外国の侵略に対処しなければならない…。だから海軍をつくり、統一の指揮下に入れる。そういう意識が生まれてきます。明治維新への一本の道になっていくわけです。

 −そこから「他国を侵略する」という発想もでてきたのでしょうか。

 これは一八七〇年ごろに開発されたライフル銃とも関係があります。

 ここで皆さんに考えていただきたい。西洋人が火縄銃を発明したのは五百年以上前。フランシスコ・ザビエルが日本に来た時にはもう火縄銃があったのに、アジアが西洋の完全な植民地になったかというと、なっていません。他の国を支配することは、火縄銃では無理なんですね。

 それはなぜか。一分に二発しか発射できず、百五十メートル離れると、厚手の服を着ていればけがをしない武器だからです。けれどライフルは射程が五百メートルに伸び、さらに連発式が発明される。大砲に応用され、人間をなぎ倒すものになる。

 −武器の変化が、社会のありようを変えたのでしょうか。

 戦争のやり方が、大量に庶民を徴兵し、ライフル銃の訓練をして、戦場で相手を圧倒する方法になっていきます。国同士で争い、別の地域を植民地として支配する体制ができ上がります。

 日本もこれに加わるのか、やられる側に回るのかという二者択一が迫られるわけです。日本は、国民国家をつくって植民地を増やす方向に、かじを切ることになりました。

 ちなみに、庶民の参政権の歴史も、武器の変化がつくったといってもいいと私は思っています。徴兵された兵士は政治への参加を求めるようになるので、男性による「民主国家」ができあがります。やがて「銃後の守り」も重要になる物量の戦いになると、工場に徴用される女性も政治参加するようになっていきます。 *次回は9日に掲載します。

◇ことば

 ※ 大黒屋光太夫…1751〜1828年。伊勢国(現在の三重県)生まれの船頭。江戸へ向かう回船が暴風で遭難。ロシア領に漂着し、10年近く過ごした後、帰国した。井上靖、吉村昭らの小説でも有名。

 

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