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【社会】

星野仙一さん死去 闘将、3球団でV

中日時代の星野仙一投手=1979年

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 プロ野球中日のエースとして活躍し、現役引退後は監督として一九八八、九九年にリーグ優勝を果たし、その後、阪神、楽天の監督も歴任した星野仙一(ほしのせんいち)氏が四日午前五時二十五分に死去した。七十歳。岡山県出身。近親者で密葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。

 楽天によると二〇一六年七月に急性膵炎(すいえん)を発症したことをきっかけに膵臓(すいぞう)がんであることが判明。昨年十二月末に病状が悪化した。

 星野氏は岡山・倉敷商高から明治大を経て、六九年にドラフト一位で中日に投手として入団。八二年まで中日一筋でプレーした。気迫を前面に出す投球から「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働十四年で146勝121敗34セーブ。七四年には沢村賞に輝いた。

 引退後は八七年に中日の監督に就き、翌年にリーグ優勝。熱い思いを前面に出す采配で「闘将」と呼ばれ、九六年には中日で二度目の監督に就任し、九九年にも優勝を果たした。二〇〇二年から阪神を率いて〇三年に十八年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズで敗退。その直後に健康上の理由で退任した。一一年からは楽天の監督に就任し、一三年に球団創設九年目で初の日本一に導いた。

 〇八年の北京五輪では野球の日本代表監督を務めた。一七年にエキスパート表彰で野球殿堂入りした。

巨人を破り、初の日本一となり胴上げされる楽天・星野監督=2013年11月3日、Kスタ宮城で(潟沼義樹撮影)

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