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【社会】

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (5)税の概念、富国強兵の礎

藩の軍事力と経済力を強化する「富国強兵」は明治維新の前から進んだ。長州藩が関門海峡に構えた大砲の複製を眺める人たち。後方は関門橋=山口県下関市で

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 −藩校開設などで各藩に一種の「実力主義」が導入されたのですね。

 その通り。それまでは先祖の勲功によって地位が決まっていました。けれど飢饉(ききん)は続くし財政難ですから、何とかそれを解消したいわけですよ。

 藩校でよりすぐった秀才を代官や郡奉行にして使うと、財政改革をやってくれる。それで成功していく。こうすると「富国強兵」が達成できる。

 富国強兵という言い方は、今は明治のこととして小中学校で教えられますが、今から二百年ちょっと前の藩政改革の中で生まれたものです。学校の秀才を官僚に登用し、藩の富国強兵を実現する。この要素に西洋化が加わればもう「明治維新」なわけです。

 最初にこのモデルを作ったのは、どうも肥後藩の宝暦改革だったらしいと近年分かってきて、私もそう主張しています。細川重賢(しげかた)という殿様が登場して、改革に成功する。取った年貢を農業投資に回して、もっと生産量を増やすということを、効率よく行ったのです。それと、住民からの陳情を細かく受け、それに対応して藩費を支出するという近代行政のもとを作った。

 −藩費からの公的な支出が、近世と近代を画する意味があるのですか。

 近世までの社会では、取った年貢は「地代」であって、武士の純然たる私生活に使うものだった。極論では、農民が飢えて死のうが、お金を出す理由はなかったわけです。それが地代ではなく「税」になる。出す代わりに、サービスがあるわけです。

 例えば港の整備や、用水工事を行うだとか。あるいは、住民の生活保護である「お救い(※注)」に回すということが、きめ細かに行われるようになる。お救いは、江戸時代初期は一部の藩にとどまっていました。農業用の牛を買うお金を貸し付ける藩も少数でした。後期になると、ほとんどの藩が行うようになる。

 お救いと同時に、肥後などの藩で始まったのが「殿様祭り」。君主崇拝です。殿様の誕生日に、お酒を飲んだり、祭壇に殿様をまつったりして武運長久を祈るんです。それまで殿様は、領民にとって特別な存在ではなかったのに、神格化されて、領民の心の中に植え込まれていきます。

 江戸時代的な身分制が、学校と官僚制で崩れていく一方で、忠義心を持てば「お救い」という形で福祉が与えられる。これを大々的に展開したのが長州藩でした。これが日本全土に広がれば、もう明治の天皇制そのものです。

 −近代化をもたらした維新は一夜にしてなったのではなく、明治と江戸との間には連続性があるのですね。初回から今回までで磯田さんによる「維新前後の略地図」の一端を伺いました。ありがとうございました。

◇ことば

 ※ お救い…飢饉や洪水、火災などで生活に困窮した人のために、領主が仮住まいの小屋を設けたり、食料を施したりすること。撫民(ぶみん)、救恤(きゅうじゅつ)ということもある。

 

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