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【社会】

オンリーワンの銅メダルと再会 64年東京五輪体操女子団体

1964年東京五輪の銅メダリスト加藤宏子さん。半世紀ぶりに、そのメダルを手にした=東京都内で(圷真一撮影)

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 一九六四年東京五輪の体操で日本は女子団体総合で三位入賞した。五輪史上、日本の体操女子が獲得した唯一のメダルだ。しかし、演技した六人の手元に銅メダルはない。当時、体操競技に限って団体メダルはチームに一個だったからだ。以来、日本体操協会が銀行の金庫に保管する。二度目の東京五輪を二年後に控え、協会が、その「たった一つの銅メダル」を本紙に公開した。(前口憲幸)

 東京都内の銀行に預けられたメダルは普段は人目に触れる機会がない。協会が報道機関の取材に応じ、半世紀を重ねたオールドメダルを公開したのは初めて。

 敗戦から十九年。日本は男子も団体優勝し、体操ニッポンの強さをみせつけた。だが男子も例外ではなく、各個人はメダル授与の対象外。協会によると国際オリンピック委員会(IOC)が「体操は種目が多い」との理由でメダル数を減らした可能性がある。「東洋の魔女」で国民が熱狂したバレーボール女子は全員に金メダルが渡されている。

 チームに一つの団体メダルは行き場をさまよう。各個人が持ち回りで預かることも検討されたが実現せず、協会が銀行に届けた。

 金庫から取り出された銅メダルは桐(きり)箱入り。金箔(きんぱく)で「TOKYO 1964」と記された漆塗りのケースに収められている。

 つややかな光を放ち、ギリシャ神話に伝わるオリンポスの神々が表裏に浮かぶ。変色したリボンが、その光沢を一層際立たせている。

◆「色あせない」夫への思いも

 黙って見つめた後、手のひらに載せると満面の笑みがこぼれた。当時のメンバーで横浜市南区の加藤(旧姓・辻)宏子さん(79)は半世紀ぶりにわがメダルに触れた。「ずっしりくる。やっぱりメダルは重かった、って感じかな」。その脳裏に浮かんだのは同じく体操で五輪メダリストの亡き夫だった。

 心に残るのは「極度のプレッシャー」。先の世界選手権で三位だった女子団体にとってメダル獲得は至上命令。同じくメンバーの小野清子さん、池田敬子さんらと重圧を乗り越えてつかんだ証しは時を経てもまぶしかった。「ちっとも色あせてない。ほとんど誰も触ってないから」

 金沢市に生まれた。中学三年で競技を始め、インターハイ個人で連覇。一九五六年メルボルン、六〇年ローマの両五輪も最有力だったが、アキレス腱(けん)を断裂するなど苦汁をなめた。二十六歳で迎えた東京五輪。金沢で体育教師を続けながら、人生をかけた。ソ連、チェコスロバキアに次ぐ三位。本当に誇らしいが、心のとげが抜けない。メダリストでありながら、メダルがない現実だ。

 東京五輪から二年後の六六年、早大、ソニーと名門を歩んだ武司さんと結婚。六八年メキシコ五輪で団体優勝した夫は金メダルを持ち帰った。自宅に飾り、お祝いした。本来なら、その横にあるはずの銅メダルはない。「気遣いか、私のメダルは話題にしなかった」。武司さんはがんを患い、闘病生活へ。夫婦ペアで輝くメダルを見ることなく、三十九歳の若さで逝った。

 「主人は口にしなかったが、見せたかった。金と銅、二つ並べて、体操とか五輪とかの話がしたかった」。半世紀を経て思い出した重みと光沢。天国の夫に報告する。

 

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