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【社会】

生存者も苦しむ日々 軽井沢・バス事故2年 脳に障害で忘れやすい、走れない

事故現場の献花台に供えられた折り鶴。事故根絶を願うメッセージが添えられていた=12日午後、長野県軽井沢町で(野村和宏撮影)

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 長野県軽井沢町で大学生ら15人が死亡したスキーツアーバス転落事故は、15日で発生から2年になる。遺族らの心が癒えぬ中、大学のゼミの仲間とツアーに参加していた関東地方の20代の男性は、今も脳などの後遺症に苦しんでいる。 (斉藤和音)

 男性は大学を卒業し、就職を控えた冬に事故に巻き込まれた。頭などを強く打ち、重体に。意識は間もなく戻ったが、つぶれた車内から救出されたときのことを含め、事故前後の記憶がほとんどない。医師は、脳に障害が残る高次脳機能障害と診断した。

 一緒にバスに乗っていたゼミ仲間の半数が亡くなったことを両親から知らされたのは、事故の約一カ月後だった。「何言っているの? 昨日電話で話したよ」。障害の影響なのか、男性はそう言い返したが、スマートフォンでゼミの連絡網をみると友人たちの名前が消えていた。「本当に亡くなったんだ」。ぼろぼろと涙があふれた。

 車いすで過ごし、実家近くの病院に転院してからは、見舞いに訪れる友人たちが心の支えだった。ただ、みんなが一足先に社会人になると、自分だけ取り残された気がして落ち込んだ。壁を殴りたい衝動に駆られ「自分が怖くなるくらい興奮しすぎて、どうしようもなくなることもあった」と振り返る。

 一昨年四月に退院してからは脳のリハビリ専門の医療機関に通い、平日の朝から夕方まで、郵便物の仕分けやデータ入力など簡単な作業をこなした。最初のころはコピーを取るよう指示されたことを忘れ、本を本棚の元の場所に戻す訓練すらうまくこなせなかった。

 就職が決まっていた大手企業では海外営業部門への配属が内定していたが、後遺症で得意な英語も単語を思い出すのに時間がかかった。歩けるようにはなったが、走れない。四歳から続けた大好きなサッカーもできなくなった。

 内定していた企業は入社を待ってくれ、男性は昨年四月、一年遅れで社会に出た。それでも、仕事や生活が思うようにできないストレスで胃腸を悪くし、体調不良は今も続く。「朝の通勤も大変で、途中で電車を降りることもある。この年齢で、トイレに間に合わなかった時が二回ある」と明かす。

 会社では、営業の一線で働くのが難しいとの理由で人事部に配属された。終業時には、次の日に取り組む仕事を忘れないようにメモした付箋をパソコンに貼ってから帰る。

 仲間は命を奪われたが、自分は生きている。でも、「仕事のキャリアも奪われた」との思いは消えない。「事故前の脳と体を返してほしい、本当にそれだけです」。深い傷は癒えず、後遺症と闘わざるを得ない暮らしを余儀なくされている。

<軽井沢スキーツアーバス転落事故> 2016年1月15日午前1時52分ごろ、長野県北部のスキー場に向かっていた大型バスが、同県軽井沢町の国道18号碓氷バイパスのカーブを曲がりきれず、道路脇に転落。乗客の大学生13人と乗員2人の計15人が死亡、26人が重軽傷を負った。17年7月に事業用自動車事故調査委員会が報告書を公表し、安全を軽視したずさんな運行管理が事故の背景にあると指摘した。

 

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