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【社会】

軽井沢・バス転落2年 事故、繰り返させぬ

スキーバス事故から2年。発生時刻に合わせて黙とうする被害者の同級生ら=15日、長野県軽井沢町で

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 大学生ら十五人が死亡した長野県軽井沢町のスキーバス転落事故は十五日で発生から二年となり、犠牲者の家族や友人らが現場で黙とうをささげ、悲しみを新たにした。バスを運行していた「イーエスピー」(東京都羽村市)の高橋美作社長(56)も未明に現場を訪れて献花し「改めて関係者全ての皆さまに心よりおわび申し上げます」と謝罪した。

 大学生だった息子を亡くした東京都の男性は献花後、報道陣に「『元気にやっているか、安らかに天国に行っているか』と心の中で声を掛けた」と話した。

 亡くなった田原寛さん=当時(19)、首都大学東京二年=の友人ら十一人は発生時刻になった午前二時前に約一分間、黙とう。

 ともに事故車両に乗って負傷し、今春卒業を控えた首都大四年の四人もおり、このうち男子学生(22)は「一緒に卒業したかった。バス事業者に重い罪を科しても戻ってこないと思うとやるせないが、今後このような事故が起こらないようにするためにも、厳罰を与えてほしい」と話した。

 発生二年の節目に合わせ、十五日は軽井沢町の藤巻進町長や国土交通省の秋本真利(まさとし)政務官らも相次いで現場を訪問し、犠牲者を追悼した。

 藤巻町長は町職員らと黙とうし、「多くの若い命が奪われ、地元としても大変悲しく思う。このような事故が二度と起きないように、国を中心に協議を進めてほしい」と述べた。

 午後には軽井沢町の小中高校の児童や生徒らも献花台を訪れる予定。

◆残された父 決意の活動

 「何かをしてあげたいと思っても娘はもういない。悲しさやつらさは日々感じている」。東京都多摩市の池田衣里(えり)さん=当時(19)、東海大一年=を亡くした父親(52)は「同じような事故が起きれば死が無駄になってしまう」と遺族会に加わり、再発防止に向けた活動をしている。

 長女も歩いた毎朝の通勤路。大きなテニスバッグを背負って歩くブレザーの制服姿が目に浮かぶ。

 「毎日のように衣里を思い出す。どれだけ願っても会えないのがつらい」と父親。娘でないと分かっていても、似た背格好の女性を見掛けると振り返ってしまう。

 二年前のあの日の朝、通勤中の電車内で「衣里がバスに乗っているかも。電話しても出ない」と母親から無料通信アプリLINE(ライン)の連絡が入った。すぐに逆方向の電車に飛び乗って、戻った。

 母親と四歳上の兄と車で軽井沢に向かう。「もしかして…」。ハンドルを握る手が震えた。案内されたのは病院ではなく体育館だった。ブルーシートの上に白い棺(ひつぎ)が並んでいた。足がすくみ、しゃがみ込んだ。そっと頬や手に触れただけで、棺の横で泣き崩れた。

 衣里さんは中学からテニスに打ち込んだ。中三の冬に足首をけがした時も松葉づえで学校に通い、部活も休まなかった。高校ではテニス部長に選ばれた。「いつも一生懸命な頑張り屋」と父親も誇らしかった。

 日曜日にコーチのアルバイトをしていた都内のテニスクラブに車で通う際、父親は助手席で運転を教えた。早朝、クラブに着くと電車で一人帰宅し、夕方に電車で迎えに行った。「娘と二人きりで何かをできる時間が、父親としてとてもうれしかった」と振り返る。

 「何をしても衣里が戻ることは絶対にないが、何もしなければ事故が繰り返される」。父親は遺族会に参加し、再発防止に向け国や業界団体に要望を伝えてきた。事故を起こしたバス運行会社の社長らが業務上過失致死傷の疑いで書類送検された後は、起訴を求める署名活動に加わった。

 昨年十一月、衣里さんの写真を一冊のアルバムにまとめた。赤ちゃんの頃、初めてゴルフをした小学生時代の家族旅行、高校の部活中にテニスラケットを持ってピースサイン…。感情が込み上げて、一人ではページをめくれない。

 「衣里と家族の未来を奪われたことは言葉では言い尽くせない。つらい思いをする人が一人でも減るよう頑張るから」。涙を拭い笑顔の娘の写真に誓った。 (斉藤和音)

 

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