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【社会】

<幻の少女を追って 至上の印象派展を前に> (上)一時はナチスの手に

フランス出身の印象派の巨匠、ルノワール画 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」(1880年)

写真

 その絵は世界で最も有名な肖像画の一つでありながら、モデルとなった少女のことはほとんど知られていない。

 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛(かわい)いイレーヌ)」(一八八〇年)。後に印象派の巨匠となるルノワールがまだ駆け出しのころに描いた八歳の少女。かれんな様子、生命力の表現は申し分なく、ルノワールの最高傑作といわれる。

 「私が一番興味深いのはイレーヌ本人も、注文した両親もこの絵が気に入らなかったということです」。名古屋市美術館副館長の深谷克典さんは言う。

 イレーヌは、パリに住む裕福なユダヤ人銀行家の長女だった。現代のように写真が流通していなかった時代である。画家に肖像を描かせるのは、お金持ちのステータスだった。

 ところが一家は絵の出来栄えに満足せず、長く使用人の部屋に掛けられていたという。イレーヌ本人はその後、二度の結婚と離婚を経験、絵について顧みることはなかった。

 その絵が歴史の舞台に登場するのは一九四二年だ。現在、絵を所蔵するE・G・ビュールレ・コレクション財団(スイス)が公開している来歴をたどると、イレーヌの長女が所有していた絵は当時、ヒトラーの側近、ゲーリングが所蔵していたことが分かる。

 かつて画家志望だったヒトラーは巨大美術館建設の野望を秘め、各地でユダヤ人らが所蔵する美術品を収奪する。その数、実に六十万点。この絵もその中の一点だった。今なお行方不明の作品も多い。

 ヒトラーは古典的な作品を好み、印象派のような当時の新しい表現は「退廃芸術」と呼んで迫害した。だがゲーリングは違った。ナンバー2のこの男は、時にヒトラーを出し抜きながら優品を入手し、個人コレクションとして蓄えていた。

 四五年、第二次世界大戦が終結。数限りない美術品とともにこの絵も連合国側によって無事に救出され、翌四六年、イレーヌの前に現れた。描かれた時から六十六年。少女は七十四歳になっていた。

 戦禍を超えての再会である。ところが、彼女はほどなくして再び絵を手放してしまった。

 取材を始めた当初、国内で研究や資料をあさって分かったのは、こうしたいきさつだった。イレーヌはなぜ絵を拒んだのか。そしてどんな人生を送ったのか。「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(十四日〜五月七日)の会場で会うことができるこの名画とモデルの少女、その数奇な運命をたどった。

 (この連載は文化部・森本智之、パリ支局・竹田佳彦が担当します)

   ◇

 印象派の最高傑作がそろう「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(東京新聞など主催)の開催概要は次の通り。 

 観覧料は、一般1600円、大学生1200円、高校生800円。前売り券はいずれも200円引きで、2月13日(同館では12日)まで販売される。ルノワール「可愛いイレーヌ」、セザンヌ「赤いチョッキの少年」の、2種類のクリアファイルが観覧券1枚とセットになったお得な前売り券(1800円)もある。

 14日から28日は期間限定で来場者全員に「可愛いイレーヌ」特製ポストカード(非売品)をプレゼントする。問い合わせはハローダイヤル=(電)03(5777)8600=へ。

 写真はピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」 (c)Foundation E.G.Buhrle Collection, Zurich (Switzerland) Photo: SIK−ISEA, Zurich (J.−P. Kuhn)

 

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