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【社会】

よみがえる幻「フジタの白鳥」 終戦翌年初演 藤田嗣治のバレエ美術

バレエ「白鳥の湖」の舞台模型を説明する舞台美術家の堀尾幸男さん=埼玉県所沢市で

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 今年で没後五十年を迎えた画家藤田嗣治(つぐはる)が終戦翌年に手掛けたバレエ「白鳥の湖」の舞台美術が、三月にある東京シティ・バレエ団(東京都江東区)の創立五十周年公演で復元される。一度は歴史に埋もれた「フジタの白鳥」の復活。その陰には、舞台演出家で研究者だった佐野勝也さんの尽力があった。実現を待たず病に倒れたが、生前の夢が実現する。 (樋口薫)

 「白鳥の湖」の全四幕が日本で初演されたのは一九四六年夏。会場は、まだ焼け野原が広がる東京・丸の内の帝国劇場(帝劇)だった。藤田は舞台美術の草案として、城の庭園や白鳥のすむ湖など三点の絵を描いた。しかし公演中に盗まれ、行方はいまだ分からない。当時の報道や資料も乏しく、フジタの白鳥は長らく幻のままだった。

 そこに光を当てたのが佐野さん。藤田の舞台美術を調べていた二〇〇〇年、初演の時に帝劇で働いていた男性が草案の写し三点を保管していたことを突き止めた。舞台監督や出演ダンサーらの証言を集めて研究した結果、大道具制作のために男性が模写し、藤田が仕上げたものと分かった。

 佐野さんの妻・素子さん(53)は「夫はすぐに復元上演を思い立ったが、当時は藤田の舞台美術に対する認知度が低く、実現できなかった」と振り返る。佐野さんは研究を深めるため、大学院進学を決意。素子さんが働いていたため、幼い二人の子の育児をしながら受験勉強に励み、四十七歳で早稲田大大学院に入った。

 五年かけ、藤田が戦前から戦後にかけて国内外で手掛けた舞台美術を研究。一三年に発表した博士論文が評価され、舞台美術家フジタが注目されだした。

 東京シティ・バレエ団の芸術監督安達悦子さんの目に留まり、復元公演が内定した後で、悪性リンパ腫が見つかった。病室にパソコンを持ち込んで作業を続けたが、一年間の闘病の末に一五年十一月、五十四歳で死去した。

 舞台装置の復元は、佐野さんと旧知で日本舞台美術家協会理事長の堀尾幸男さん(71)が引き継いだ。「草案は荒い筆勢で描かれているのが特徴。クラシックバレエという制約の中でもがき、そこから出ようとした格闘が伝わる」と評する。

 「白鳥の湖」の台本は季節を明示していないが、藤田の描いた庭園は春の新緑で埋め尽くされている。

 「季節を春に設定することで、藤田が『復興と再生のメッセージを込めた』という佐野の推論が正しいだろう」と堀尾さん。「完成まで時間がかかったが、やっと報告ができる」と感慨深げに語った。

 素子さんも「夫は闘病中も公演を気にかけ、実現する日を心待ちにしていた。その思いを引き継いでくださった皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです」と話している。  

◆来月復元公演

 公演は三月三、四、六日、東京・上野公園の東京文化会館で。指揮は大野和士さん。チケットの問い合わせは平日午前十時〜午後六時に同バレエ団=電03(5638)2720=へ。

<藤田嗣治> 1886(明治19)年、東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大)を卒業後、フランス留学。独自の技法による「乳白色の肌」の裸婦像でパリ画壇の注目を集めた。太平洋戦争の前に帰国。戦争画の制作を手掛けたことで「戦争協力者」との批判も受けた。戦後は再び渡仏し、仏国籍を取得した。洗礼名レオナール・フジタ。1968年死去。

 

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