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【社会】

<駆ける>(下)命の物語 背に再挑戦 千葉・船橋市 斉藤成美さん(48)

東京マラソンに向けてトレーニングする斉藤成美さん=千葉県船橋市で

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 「全てのことに意味がある」。千葉県船橋市の不動産会社経営、斉藤成美さん(48)はつらい状況に直面するたび、そう考えてきた。

 最初は社会人になってすぐに、母を亡くした時。子宮体がんの宣告からわずか七カ月だった。「母は甘ったれの私に『自立せよ』と、身をもって教えてくれた」と思った。

 三十八歳の終わりごろ、むくみを改善しようと、家の近所を走り始めた。電柱から次の電柱までの区間を走り、次の区間は歩くという自己流の練習を重ね、すぐに三キロ走り続けられるようになった。いよいよ本格的なトレーニングに乗り出そうとタイムを計れる時計を買った直後、乳がんの診断を受けた。リンパに転移していた。

 抗がん剤治療で月一度の通院が一年間続いた後、手術で患部を切除。それでも手術直後以外は、治療中も走り続けた。走っている間は無の境地。ストレスは消え、目標をクリアする達成感も味わえた。

 「本当に必要なものは何か考えることができたし、一日一日を大切に生きたいと思えた。病気になれたおかげ」

 「今後は走ることを人生の楽しみに」と二〇一二年、四十二歳で初のフルマラソン「ちばアクアラインマラソン」に挑戦。何度も止まりつつも完走した。「休まずに走り切りたい」と、ランニングジムに入会し、その後、四度のフルマラソンを経験した。

 四時間を切れそうなところまでタイムを伸ばしていた一四年、体調を崩して出場予定の大会を棄権した。翌年、美容師と結婚。「まさか」の妊娠、出産。「強い放射線を浴びた私が母になれるとは」。ジェットコースターのような人生に自分が一番驚いている。

 娘は二歳になり、そろそろマラソン復帰をと応募した今大会。「初エントリーでの当選はきっと、この年で子育てに奮闘する私へ神様からのエール。走り切って、生きる糧にしたい」。母となって臨む初マラソン。二十五日の号砲が待ち遠しい。(井上圭子)

 

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