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【社会】

金子兜太さん死去 「人間への洞察 私たちを導く」

語り合う金子兜太さん(左)といとうせいこうさん=昨年12月、埼玉県熊谷市の金子さん宅で(安江実撮影)

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 二十日に九十八歳で亡くなった俳人の金子兜太(とうた)さんに、ともに本紙「平和の俳句」(二〇一五〜一七年末)で選者を務めた作家いとうせいこうさん(56)が追悼文を寄せた。

 いつかこの日が来ると思い、会う度に苦しかった。大好きな人だった。訃報は休暇で出かけたハワイ・マウイ島に着いたあと、電子メールを開くと届いていた。機内では何も知らずに真珠湾の記事を読み、空港で日系移民の展示を見て第二次大戦のことを考えていた。その時間にはもう、あの巨人は旅立たれていたのだ。私が時差を飛び越えているうちに、海の向こうに隠れてしまった。数日前に死亡記事が通信社の誤報で流れたことも、我々のショックをやわらげるための兜太さんの優しい冗談だった気がしてくる。

 自分にとって大きな山のような、どこまでもひたすら懐かしい親戚のような人であった。兜太さん自身も、今年初め埼玉県熊谷市のご自宅へ会いに出かけた折だったか、「いくら言いあいをしようが殴りあおうが、大切な友人であることは変わらない。それがあんただ」と言ってくれた。私にはそれが遺言だ。

 幸いにも二十数年前「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」の選者として知りあって以来、対談集(『他流試合』講談社+α文庫)まで出していただき、晩年には「平和の俳句」選者として二年八カ月、毎月、東京新聞で会って話した。選句を生で見ることが、自分には何にも勝る勉強であった。よく出来た句には「つまらん」と言った。破天荒な句には「素直だ」と言った。どれほど体調がすぐれなくても、選句だけは早かった。

 現代俳句における偉大な業績はもちろんのこと、社会に関わる筋の通った活動にも目覚ましいものがあった。文学者として、また戦争体験者としての世界、そして人間への深い洞察はいつまでも私たちを導くだろう。

◆平和の俳句 戦後72年

 東西南北若々しき平和あれよかし  白寿兜太(とうた)

 この句は、「平和の俳句」の最終日となった戦後72年の昨年12月31日、本紙に掲載した句の再掲。金子兜太さんの句に、いとうせいこうさんが句評を添えた

◆平和の俳句選者 

 金子兜太氏(かねこ・とうた=俳人、現代俳句協会名誉会長)20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため埼玉県熊谷市の病院で死去、98歳。埼玉県出身。自宅は熊谷市。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男真土(まつち)氏。

 東京大(当時は東京帝大)経済学部卒。日本銀行に入行後、海軍主計中尉として南洋のトラック島に赴任。戦後は俳句に社会性や時代性、思想を取り込む革新をもたらし、俳誌「海程」を創刊するなど、戦後の俳句改革運動をリードした。

 56年現代俳句協会賞。83年から同会長を務め、俳句を通じた国際交流にも力を注いだ。日本芸術院会員。文化功労者。代表的な句に<湾曲し火傷し爆心地のマラソン>など。主な句集に「少年」「両神」「日常」、著書に「小林一茶」など。

 

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