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【社会】

大川小、145年の歴史に幕 津波の教訓 引き継ぐ

児童が見守る中、市教育委員会の阿部邦英委員長(中央右)に校旗を返納する大川小の鍵頼信校長(同左)=24日、宮城県石巻市の二俣小で(佐藤哲紀撮影)

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 東日本大震災で児童、教職員計八十四人が津波の犠牲となった、宮城県石巻市の大川小学校の閉校式が二十四日、四月から統合する同市の二俣小学校で行われた。児童の遺族らも出席し、百四十五年の学校の歴史の最後を見届けた。

 式には一〜六年生の在校生二十九人と保護者、卒業生ら約三百二十人が出席。石巻市教委の阿部邦英委員長が「多くの児童や教職員の命が奪われる大変残念な事態になった。大川小は歴史に幕を下ろすが、ここで培われた尊い精神は末永く引き継がれていく」とあいさつ。鍵(かぎ)頼信校長(59)が阿部委員長に校旗を返納し、出席者全員で校歌を斉唱した。

 校舎は石巻市が震災遺構として保存し、敷地内に閉校記念碑を設置する予定。

 震災時に六年生だった次女真衣さん=当時(12)=を失った会社員鈴木典行さん(53)は自身も卒業生。「校歌を歌いながら、じーんと思いが込み上げてきた。大川の名前はなくなるが、みんなの心の中には残ったかな」と式を振り返った。校舎については「子どもたちが学ぶ場ではなくなっても、震災遺構として防災を学ぶ場になれば」と話した。

 大川小は一八七三(明治六)年に前身の釜谷小として開校。震災では児童七十四人と教職員十人が亡くなり、学区の児童たちは西に約十キロ離れた二俣小の敷地に建てられた仮設校舎に通った。震災時に百八人いた児童数が大幅に減ったのに加え、大川地区の住民が二俣地区に集団移転したことなどから、二〇一六年に統合が決まった。 (小沢慧一)

 

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