東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

ボランティアバス また来たよ 宮城に延べ2万9000人 水戸の会社

ボランティアバスの運行を続ける「石塚観光」の綿引薫社長=宮城県石巻市で

写真

 水戸市の旅行会社「石塚観光」が、東日本大震災で被災した宮城県に、ボランティアを乗せたバスを運行し続けている。七年間で約六百回往復、延べ約二万九千人を運んだ。綿引薫社長(54)は「復興を見届けたい。邪魔だと言われるまで行く」と心に決めている。

 月命日の今年二月十一日の朝。同県石巻市立大川小の被災校舎前に大型バスが到着し、ボランティア約四十人が降り立った。津波で児童ら計八十四人が犠牲になった同小は、校舎も水流などで損壊し吹きさらしの状態。震災遺構として保存が決まったものの、維持管理の在り方が課題となっている。

 ボランティアたちは水戸を未明に出発し、約三百キロの距離をバスに揺られた疲れをものともせず、床掃除や周囲の花の手入れに精を出した。

 同小六年だった三男雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(51)は「こんなに長い間来てくれる人たちはいない。遺族だけでは、ここまできれいに校舎を保てない」と感謝した。

 綿引社長は、青年会議所の活動で石巻市と交流した縁で、震災を受け二〇一一年四月からボランティアバスの運行を始めた。最初の冬、同県東松島市で花を植えていると、仮設住宅の高齢男性から声を掛けられた。「毎週、ボランティアが来るのが楽しみ。見ると元気が出る」。そう言われ「姿を見せるだけでも支援なんだ」と奮い立った。

 バス運行は現在、月一〜二回。宮城県では、今年一月末時点でまだプレハブ仮設住宅に約三千七百人が暮らしており「生活するだけで精いっぱいの人も多い」という。

 最近は、高校生ら若者のボランティアも増えた。水戸市の私立茨城高の野球部は、チームで大川小を訪問。主将の二年藤田怜隼(れお)さん(17)は「事実を知らなければ、と思って来た。津波の被害は悲惨。自分たちも伝えていかなければならないと感じた」と話す。

 綿引社長はそんな高校生を眺めながらほほ笑む。「寄り添う気持ちが芽生え、その活動が次世代にもつながってほしい」。復興、そして継承。ボランティアバスに、新たな使命が加わった気がしている。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報