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【社会】

東京大空襲から73年 「戦争の記憶」つなぐ場に 江戸川区が展示室

展示されている戦災資料を見る楠田正治さん=東京都江戸川区の小松川さくらホールで

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 一夜で十万人の命が奪われた東京大空襲から七十三年の十日、区役所などが焼けて八百人の死者が出た東京都江戸川区に戦争資料を集めた「平和祈念展示室」がオープンした。元助役の藤田昇さん(故人)が収集した焼夷(しょうい)弾の残骸など約五十点が並ぶ。開設を求める区民の三十年来の願いが実った。 (飯田克志)

 展示室は、区の多目的施設「小松川さくらホール」に入る。木造住宅の密集地域だった小松川地区は一九四五(昭和二十)年三月十日の空襲で壊滅的な被害を受けた。

 藤田さんは空襲の夜、区役所の宿直勤務だった。いざというとき、戸籍簿などの重要書類を持って逃げるように指示されていた。焼夷弾が落ち庁舎が炎で包まれると、同僚と戸籍簿などの入った麻袋を持ち出し、近くの水路に沈めた。

 退職後の藤田さんは、空襲体験を小学校で語るなどの平和運動をライフワークに。空襲で焼け残った区の「文書庫」の保存運動が起きたことを機に八九年に始まった「区戦災犠牲者追悼式」の主催者団体の会長も務めた。

 「体験者がいなくなっても、戦争のことは語り継いでいかないといけない」とよく口にした。出征兵士に贈られた寄せ書きされた日章旗、防空頭巾など三百点の収集品を区に寄託。区は九一年、初めての戦争資料展を開いた。九九年以降、大空襲の日にあわせた資料展が恒例になる。

 藤田さんは、二〇一〇年に九十四歳で亡くなった。平和祈念展示室は、追悼式の主催者団体の代表幹事を務める元区職員の楠田正治さん(73)らが区に設置を働きかけて実現した。十日、三十回目を迎えた追悼式で楠田さんは「戦争とはなんだったかを学ぶ必要がある。戦争が再び起きないように活動を続けていく」とあいさつし、藤田さんの遺志を次世代につないでいくことを誓った。 

 

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