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【社会】

原発訴訟判決 「好きで避難してない」 6年前、北茨城から京都へ

福島第一原発事故避難訴訟の判決を受け、京都地裁前で「一部勝訴」などと書かれた垂れ幕を掲げる原告側弁護士ら=15日午前

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 「好きで避難したのではない」。東京電力福島第一原発事故から約七年。原発避難者京都訴訟の原告の一人、川崎安弥子さん(50)は日常を奪われた悔しさや不安を胸に、長い自主避難を続ける。次男の中学卒業式のため、十五日の判決当日は法廷で見届けられなかったが、自身の避難の相当性が認められたとの連絡を受け、「うれしい。国と東電には、人の命を守る政策に転換していってほしい」と喜んだ。

 当時、中一から未就学までの息子と娘の三人を連れて茨城県北茨城市から京都市伏見区に避難したのは六年前。事故後に周囲の放射線量などを調べるうちに不安が募り、避難を決意した。夫は地元に残り、家族は離れ離れになった。

 京都府が福島県以外からの避難者にも住宅を無償提供していたことが決め手になった。二〇一二年一月に入居した集合住宅には八十世帯以上の避難者が居住。「地元で言えない不安や怖さを共有できて、ほっとした」と振り返る。

 しかし、避難生活二年目の十月、中三だった長男が夫の元に帰った。京都での生活になじめず、不登校になっていた。故郷に帰りたいという気持ちを止められなかった。「自分のことに精いっぱいで余裕を失っていた」。長男の気持ちに向き合えなかったことを悔やんだ。

京都市で長い避難を続ける川崎安弥子さん

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 昨年三月、福島県が自主避難者への住宅の無償提供を打ち切った。京都府と京都市は独自の支援策で入居から六年間の無償提供を続けているが、先の生活を見通せず、転居する避難者も多い。

 川崎さんも集合住宅を離れ、今は近くのアパートを借りて暮らす。避難から六年が経過し、ようやくなじんできた残る子ども二人を思うと、環境をこれ以上変えたくなかった。それでも、「いつかは地元で家族そろって過ごしたい」との思いは常にある。住民票も北茨城市に置いたままだ。

 「今後の人生のことをいくら考えても、また壊されるんじゃないかという不安が今もある。その日その日を頑張って生きていくしかない」と静かに語った。

 

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