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【社会】

「お父ちゃんを捜して」妻が懇願 元機動隊長、被災者と心の交流 今も

警視庁第9機動隊の隊員らが寄せ書きしたアメフットボールを手に持つ佐々木さん=岩手県釜石市で

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 岩手県釜石市の災害公営住宅。簡易な仏壇に置かれた遺影のそばに、警視庁第九機動隊の隊員たちが寄せ書きしたアメリカンフットボールが飾られていた。「えらいお世話になりましたよ」。東日本大震災で夫と長男を亡くした佐々木タツ子さん(84)は感謝の言葉を繰り返す。今も、夫の捜索にあたった九機の元隊長大木英敏さん(60)と心を通わせている。 (藤川大樹)

 佐々木さんは釜石市内で長年、居酒屋「コップ酒」を営んできた。七年前のあの日。震度6弱の揺れに驚き、近くの電器屋へラジオの電池を買いに行った。帰り道、黒い煙を上げながら迫る津波を目にした。「お父ちゃん、早く出てえ」。すぐに店へ戻り、夫の亀久雄(きくお)さん=当時(82)=の手を引いて飛び出した。だが、数十メートル走ったところで、波に追い付かれてしまう。つないでいた手がほどけ、亀久雄さんの姿はあっという間に見えなくなった。

 佐々木さんは近くの民家に逃げ込み、階段で三階まで上がった。ビリビリビリビリ、ガラガラガラガラ。電信柱が倒れ、濁流が車や家屋をのみ込んだ。「もう地獄だね。そっちでもこっちでも、唸(うな)る、呻(うめ)く。その声が今でも抜けないのよ」

 救助された佐々木さんは避難所で暮らしながら、亀久雄さんを捜し続けた。同じく津波で流された長男の善正さん=当時(52)=の遺体はすぐに発見されたものの、亀久雄さんは三週間たっても見つからなかった。途方に暮れる中、出会ったのが、大木さんだった。

 九機は二〇一一年三月三十日から九日間、釜石市に派遣された。「お父ちゃんを捜してください」。その直後、佐々木さんは、現場で陣頭指揮を執っていた大木さんを訪れ、懇願した。

 捜索には、警視庁のアメフット部「イーグルス」の選手が所属する九機の第三中隊が中心にあたった。震災直後で重機の割り当てが十分ではなく、手作業で一つ一つがれきを撤去していった。二日がかりの捜索の末、倒壊した建物の一階で亀久雄さんを見つけた。

大木英敏さん

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 体は泥にまみれ、顔には傷があった。隊員たちは丁寧に汚れを拭き、佐々木さんに引き合わせた。「お父ちゃん、痛かったでしょう」。佐々木さんはその場で泣き崩れた。

 佐々木さんは避難所や仮設住宅で過ごした後、一昨年夏に災害公営住宅に移った。家財道具などは津波で流され、ガランとした1LDKの部屋で一人で暮らす。近くには、亀久雄さんと善正さんが眠るお墓があり、月命日などには欠かさず手を合わせている。

 大木さんは三月十一日に六十歳を迎えた。三十一日で、警視庁を定年退職する。佐々木さんとは手紙をやりとりしたり、誕生日や母の日にプレゼントを贈ったりしてきた。暖かくなったら、一緒に花巻温泉へ行く約束をしている。

 「十六年前に亡くなったおふくろと重なるんですよ」と大木さん。「佐々木のおばあちゃんと再会して、私の警察人生がようやく終わります」

 

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