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【社会】

亡き両親へ「ここで生きる」 熊本地震2年 遺族代表・松野良子さん

熊本地震犠牲者追悼式であいさつする遺族代表の松野良子さん=14日午前、熊本県庁で

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 熊本地震の犠牲者追悼式で、遺族代表となった熊本県合志(こうし)市の松野良子さん(61)は両親の介護をしようと決め、約三十年ぶりに同居を始めて間もなく、母ミス子さん=当時(84)=を地震で失った。自宅は全壊し、父健さん=当時(86)=も後を追うように亡くなった。「泣いている姿は見せられない」。両親と過ごしたこの地で、これからも生きていくと誓う。

 東京から熊本県益城(ましき)町の実家に帰郷し、両親と再び暮らし始めた松野さん。地震が起きたのは、その約十カ月後の二〇一六年四月十四日夜だった。

 自宅には埼玉県から親戚が遊びに来ていた。生後半年のひ孫を囲んで写真を撮り、良子さんも笑顔の輪に加わっていた。突然の激震が襲った。全員無事だったが、木造二階建ての自宅は大きく傾いた。

 両親と共に狭い車内で一夜を過ごした。母はしきりに「家に帰ろう」と繰り返した。物置だった自宅隣の納屋に移った十六日の未明、本震が起きた。つぶれた納屋のがれきの中で母は冷たくなっていた。

 一カ月半後、父と合志市のみなし仮設住宅に入った。高齢の父が日に日に弱っていく姿を見るのがつらかった。「何でも言い合えた母と、長年住んだ家をいっぺんになくして失意の中にいた」

 震災前、久しぶりの親子三人の暮らしに両親は楽しそうだった。母は料理ができないのに、台所で団子を作ってくれた。父は繰り返し家族の昔話をしてくれた。優しくて人の悪口は言わなかった母。不器用だが仕事熱心の父。「地元に帰り、最期をみとれてよかった」。良子さんは自分に言い聞かせる。

 今はみなし仮設で飼い犬と遊び、体力づくりをして毎日を送る。ここなら被災当時のことを「大変だったね」と語り合える知人もいる。落ち込まずにいられる。

 元の場所で自宅を再建しようと決めた。庭に母が好きだったオダマキの花を咲かせ、父の愛読していた雑誌も並べたい。「ずっと一緒にいられるように」。被災から二年、ようやく一歩を踏み出そうとしている。

 

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