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【社会】

「人生を返して」 強制不妊問題 妻の最期まで真実告げられず

14歳で強制的に不妊手術を受けた苦しみを明かし、5月に提訴する70代男性=3月、東京都内で

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 旧優生保護法による強制不妊問題は、国が「適法だった」として被害と向き合わずに放置し、その間にも多くの資料が失われてきた。個人記録が都道府県に現存するのはわずか25%。だが、資料はなくとも、つらい記憶や手術痕が今も消えない苦しみを物語っており、当事者たちは「人生を返して」と提訴に踏み切る。 (石川修巳)

 ずっと胸に閉じ込めていた言葉を妻に伝えたのは五年前、病院の個室で二人きりになった時だった。四十年連れ添った妻が白血病になり、「もう助からない」と医師に告げられていた。

 妻の名前を呼ぶと、返事があった。「小さいころ、子どもができなくなる手術をされたんだ。なのに…結婚してごめんね」

 東京都の七十代男性が不妊手術を強いられたのは一九五七年、十四歳の時。仙台市の児童施設に入所中、説明もなく病院に連れて行かれ、手術を受けた。

 何の手術だったかは、施設の先輩が後で教えてくれた。同じ施設では、ほかに三人くらいが手術されたという。「しょうがないな」。当時はまだ、その意味が分かっていなかった。

 現実を突きつけられたのは、二十八歳で妻と結婚し、一年くらいしてからだ。子どもができず、「私も診てもらうから、あなたも診てもらって」と妻に言われた。周りには「なぜ子どもができないんだ」と問い詰められ、そのたびに「いやあ、なぜでしょうね」と、とぼけるしかなかった。

 「女房がほかの子どもをあやしているのを見て、本当につらかった。情けないくらいに子どもが欲しかったけれども、自分じゃ、もうできないんだって」

 そして五年前、病床の妻に不妊の理由を初めて明かし、わびた。「なぜ黙っていたの」と責められると思ったのに、妻はうなずいて言った。「ちゃんと食事をとってよね」。それが夫婦の最後の会話になった。

 旧厚生省の統計によると、手術人数は五四〜五八年に年一千人を超えた。男性が手術された五七年、国会では手術を促進する質疑が交わされていた。

 谷口弥三郎参院議員「この際、手術を徹底的に大いに進めなければならぬ。手術を行わなければならないような人口は、現在どのくらいか」

 厚生省公衆衛生局長「大ざっぱな数字で十万ちょっと。悪質遺伝防止の手術は非常に少なく、もっと増やさねばならない」

 自分はなぜ手術されなければならなかったのか−。男性は宮城県に当時の記録の開示を請求したが、保管期間が満了し「廃棄された」との答えだった。それでも、医師の診察で手術痕が確認され、親族の証言も頼りに五月中旬、東京地裁に提訴する。「もう年を取って、女房も亡くなって…。自分の人生を返してほしい、ほかに言いようがないです」

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