東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 4月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

80年自らの判断で不妊手術 「優生思想に洗脳された」

 障害者らへの不妊手術を定めた旧優生保護法が存在していた一九八〇年に、法の対象外なのに自らの判断で子宮の摘出手術を受けた脳性まひの女性が取材に応じ、当時の思いを証言した。富山市の中村薫さん(60)。当時を振り返り「優生思想に洗脳されていた」と語り、「手術しなければ子どもを産めたかも」と悔やむ。実名を明かしたのは「私と同じような人がほかにもいるはず。一人で苦しまないでと伝えたい」との思いからだ。

 八歳で石川県内の障害者施設に入所。十三歳の時に初潮を迎えたが、自分で処置できず、介助する職員に嫌な顔をされた。「赤ん坊も産めんくせにこんなもんあったって、しゃあない」。毎月のようにそんな言葉を聞かされた。「障害者に生理はあってはいけないものだ」と信じ込み、二十二歳の時、自ら希望して子宮を摘出する手術を受けた。

 旧法が定めた不妊手術の対象に「脳性まひ」は含まれていない。手術の方法としても子宮摘出は認められていなかった。医師や母親は体への影響を心配して反対したが、「自分のことは自分でできるようになりたい」「生理さえなくなれば」との一心だったという。

 医師は「子宮筋腫」と虚偽の診断名に基づき子宮を摘出。手術後は毎月一定期間、胸が腫れて痛くなり、三八度近い熱が続いた。やがて、障害のある女性が結婚して出産したことを知った。「私も本当は産めたんじゃないか」と激しく後悔した。

 好きになった男性に「私は本当に女なんやろうか」と打ち明けたことがある。「おまえはおまえや。もっと胸張って生きていい」。そう言われて少しだけ自分を肯定できるようになった。

 それでも長い間、「自分の責任だ」と葛藤と苦しみを自分の中で抱え込んでいたが、二〇〇〇年代に入って旧法に関する映画の上映会に参加。「私も優生思想の被害者なのかもしれない」と思うようになった。旧法下で不妊手術を強いられた人々を思い「自分の判断で子宮を取った私がこんなに苦しかったんだから、本当に苦しい人生を歩んだんだろうな」と話す。

 後輩に子宮摘出について相談されたことがあり反対したが、後に摘出したらしいと聞いた。「当時はびこっていた優生思想を、差別的な状況を今、語らなければ」と中村さん。「いまだ残る優生思想がなくなるように。少しでも障害者に生きやすい社会になるように」

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報