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【社会】

救われた命で日中つなぐ 3・11被災の中国女性、日本へ人材派遣

「日本の良さを伝え、日本人が望む人材を送り出したい」と話す叢偉さん=北京市で(安藤淳撮影)

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 宮城県女川町の水産加工会社「佐藤水産」で、技能実習中に東日本大震災に遭遇した中国人の叢偉(そうい)さん(36)=遼寧省大連市=は現在、日本の企業に中国人の研修生や技能実習生を派遣する仕事をしている。津波で亡くなった会社の元専務=当時(55)=の機転で救われた命。「これからも日本と中国の懸け橋であり続けたい」。小中学生の娘二人を日本に留学させるのが夢だ。 (中国総局・安藤淳)

 叢さんは二〇〇九年八月から技能実習生として佐藤水産に勤めていた。一一年の地震発生直後、元専務が宿舎で休憩していた二十人の実習生を「もっと高いところへ行け」と高台へ誘導してくれた。

震災後に一時帰国し「恩返し」のため宮城県女川町に戻ってきた中国人実習生(中央の3人)=同町で

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 元専務はその後、再び宿舎に戻り、津波に流され帰らぬ人に。危険を顧みず誘導に当たった行動が中国でも報道され、感動を呼んだ。

 実習生は、佐藤水産を含め女川町の水産加工業界が連携して受け入れていた。「会社で預かっている大事な若い子」という共通の認識があり、同町は震災で人口の一割近い八百人が犠牲になったが、約百六十人の実習生全員が無事だった。

 叢さんはいったん中国に戻ったが、翌一二年に他の実習生とともに再来日。残りの実習期間を終えて帰国した後の一三年、会社の関係者から「誰かうちに来てくれる人はいないだろうか」と相談を受けた。被災地は復興へ向かい始めたものの、まだ人手が足りない状況だった。

 「当時は誰も日本に行きたがらなかった」と振り返る。中国では「地震がまた起きるかも」「放射能が心配」という不安があった。

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 日本での生活だけでなく震災後の状況も理解していた叢さんは「会社や元専務に恩返しをしたい」と、周囲の中国人たちに日本人や日本の社会の良さを根気よく説明。「安全性も問題ない」と繰り返し、少しずつ派遣する人を増やした。

 これまでに五百〜六百人を日本各地の企業へ派遣。水産業だけでなく、プラスチック成形や自動車製造、農業、免税店の店員など派遣先は多岐にわたる。

 「日本人から全力で打ち込む姿勢や、人のために生きることを学んだ」と叢さん。今も佐藤水産との交流は続く。最近も中国に来た幹部と会い、新しい工場の様子や一緒に会社にいた人たちの思い出話に花を咲かせた。

 

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