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【社会】

娘に報告やっと 学校防災問い続けた7年 大川小訴訟、過失を認定

大川小津波訴訟の控訴審判決後、次女の千聖さんの写真を大事そうに抱える妻のさよみさん(右)と並んで歩く紫桃隆洋さん=26日、仙台高裁前で

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 宮城県石巻市立大川小の津波被害を巡り、事前防災の過失を認定した仙台高裁判決を受け、五年生だった次女の千聖(ちさと)さん=当時(11)=を亡くした紫桃(しとう)隆洋さん(53)は「短かった娘の命が未来につながる判決で、やっと娘に報告できる」とほっとした表情を浮かべた。あの日の悲劇から七年余り。これからも命と向き合い、歩き続ける。

 一九九九年のクリスマスイブに生まれた千聖さんは、三人きょうだいの末っ子。活発で気配りのできる子だった。大工の隆洋さんが自宅で作業をしていると「はい、お父さん」と道具や材木を渡し手伝ってくれた。「教えたわけでもないのに。すごいんだ、千聖は」

 「ただいま」と玄関を開けると「お帰りー」と言いながら、ぽんと飛びついてくるあの感触。「ドアを開けたら、来てくれないかなと今も思うことがある」

 なぜ亡くなったのか。大川小であの時、何があったのか。東日本大震災後の保護者説明会で市の説明は二転三転した。第三者による検証委員会の報告も、納得には程遠かった。「なぜ」は解消されず二〇一四年三月、提訴に加わった。

 悔しさ、悲しみを押しとどめ、できることは何でもやった。地域住民や専門家への聞き取り、現地調査。市に情報開示請求し、内容が分かる文書を得るまで一カ月近く交渉したこともあった。

 一六年十月の一審判決が学校側の過失を認めたのは、津波襲来前の七分間だけ。事前の対策や事後対応の不備は認められなかったが、市に判決受け入れを期待した。ところが、市はわずか二日後に控訴を表明。「あの時は本当につらかった」

 控訴審でも、市教育委員会の元職員が、各校が提出した危機管理マニュアルの内容を確認していなかったとの証言を聞き、あぜんとさせられた。

 苦しい時は被災校舎に行く。千聖さんが過ごした教室の前の廊下には、荷物を掛けるフックの上に「紫桃千聖」の名前シールが今も残る。「もう少し頑張るよ」。名前に触れ、決意してきた。

 昨年末、被災地で活動を続ける女性歌手のライブを聴きに同県女川町を訪れた。楽しんだ後に募る寂しさを恐れ、そうした場は避けてきたが、妻のさよみさん(52)が「いい歌だから」と背中を押してくれた。「夫婦で、家族で、少しずつ新しいこともしていきたい。千聖もそう望んで、一緒に笑っていると思う」

 

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