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【社会】

被爆3世代の今を写す 体験 孫へ伝えるきっかけに

被爆3世の家族をテーマにした写真について話す写真家の堂畝紘子さん=東京都千代田区で(安江実撮影)

写真

 広島、長崎の原爆被害者、子ども、それに孫。被爆者の家族を3世代にわたって撮った写真展が3日、東京・汐留で始まる。撮影した広島市の写真家・堂畝(どううね)紘子さん(35)は「3世は、じかに話を聞いて次の世代に伝えられる最後の世代。家族写真を撮ることがきっかけになれば」と願いを込める。 (原尚子)

 「私が留学していた時、ホストファミリーに被爆三世だと告げたら、『うちの子に近づかないで』と言われたの」

 四年前、堂畝さんは高校時代の同級生から聞いた話に衝撃を受けた。「いまだに、そんな国があるなんて」

 広島市内で生まれ、学校や親を通じて原爆や戦争の悲惨さを学んできた。「自分には何ができるか」とずっと考え続け、平和学習の教材やドキュメンタリーのナレーションがしたいと上京して声優を目指したが、望んだ仕事ができずに断念。趣味で続けていた写真を本格的に学び直し、故郷で写真館を開いた。その後も「伝えたい」思いは消えなかった。

 転機は、戦後七十年を迎えた二〇一五年。留学時代の体験談を話してくれた友人から、「被爆三世の私たち家族を撮ってみたら」と勧められた。インターネットや口コミで、撮影に応じる被爆者と家族を募集。撮影を通じ、子や孫にも語られてこなかった体験談を掘り起こすことにつながった。

 撮影中は、孫たちから祖父母に体験を聞いてもらうことにした。「市外へ逃げる時、たくさんの遺体を見ないよう、目をふさいで走った」「何日も父を捜してさまよって…」。自分だけ生き残ったという罪悪感を抱き、沈黙を続けてきた被爆者たちが「孫になら話せた」と口を開いた。三年間で撮影したのは七十家族となった。

被爆3世の女性(前列右)が祖母である被爆者女性(中)の話を聞き取った。いとこを捜しに原爆投下10日後に入市したことを長い間言えなかったという=堂畝さん提供

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 長崎では、最初はいやいや撮影に参加した孫の男子大学生が変わっていく姿を見た。寝たきりの祖母がぽつりぽつりと語る話を、質問をしながら聞くようになった。帰り際には、堂畝さんに「来てくれて良かったです。この機会がなければ一生知らなかった。聞いたからには、自分にできることを探そうと思います」と感謝してくれた。

 広島と長崎で写真展を計七回開いてきたが、原爆が投下された八月六日と九日が、何の日か知らない日本人が増えた。被爆者の高齢化も進む。「被爆地だけにとどまってはいられない」と東京で初めての写真展を企画。今回は十家族の写真を展示する。

 撮影をきっかけに、語り部活動を始めた人もいる。堂畝さんは「四世以降の子どもたちに伝えるため、多くの種を蒔(ま)いていきたい」と話している。

 写真展「生きて、繋(つな)いで−被爆三世の家族写真−」は、東京都港区の汐留メディアタワー三階ギャラリーウオークで三十日まで。入場無料。

 問い合わせはメールで堂畝さん=hibaku3sei@gmail.com=へ。

 

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