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【社会】

いつか自分も里親に 里子経て2児の父

元里親の青葉やよいさん(右)に子どもたちの写真を見せながら、近況を話す中山健太さん=東京都江東区で

写真

 「理想は、おやじとおかん」。幼いころ両親を亡くした東京都江戸川区の大工、中山健太さん(30)は、十歳から育ててくれた元里親の夫婦を慕う。最初の里親とは合わず、施設に戻った苦い記憶もあるが、家族を持った今「家庭で育った経験は大きかった」と実感する。 (奥野斐)

 月に一、二度、健太さんは江東区の元里親、青葉紘宇(こうう)さん(73)、やよいさん(68)夫婦が住む「実家」にふらっと顔を出す。「おかん、お茶ちょうだい」。里親としての委託関係は終わっているが、悩みや近況を話したりと、親子同様の付き合いが続いている。

 四歳で母を、六歳で父を亡くし、小学校入学前から小学五年の秋まで主に児童養護施設で育った。この間、里親に預けられた時期もあったが、なじめずに別の施設へ。十歳の時、青葉さんらが引きとった。

 初めて迎えた里子。「最初はかわいくなかったのよ。大人の顔色を見て動くでしょう」とやよいさん。健太さんは「しょうがないでしょ。転々とさせられて、俺はここが五カ所目。様子を見ながら探り探りだったんだ」と苦笑いする。

 中学生になると、万引やけんかなどの非行が激しくなった。「大人が信用できなくて、いら立つエネルギーをどこにぶつけていいか分からなかった」。青葉さんらの手に負えず、中学三年から約一年間は児童自立支援施設に入った。

 この入所が、親子の関係を変えた。手紙を送り続ける夫婦に、健太さんは初めて「自分を見てくれる人がいる」と感じた。やよいさんも「離れて初めていとおしいと思えた。私たちが見放したら、誰も信じられない子になってしまうって」と振り返る。

 高校一年になり、施設から戻った健太さんがつぶやいた一言を、やよいさんは宝物のように覚えている。「大人は今も信用できない。ただし、一部を除いて」。生活態度は改まり、高校卒業後、就職し自立した。

 健太さんは四年前に結婚し、三歳と一歳の男の子の父親になった。施設で育った自分をかわいそうだとは思わない。でも、子どものころの記憶は途切れ途切れだ。一緒に公園で遊んだり、買い物に出掛けたりと、子どもに「普通」のことができる幸せをかみしめている。いつか里親になって、かつての自分のような子どもを引き取りたいと願う。

 青葉さん夫婦は、これまで中高生ら二十人以上を預かってきた。健太さんのように大変な経験をして傷ついていることが多い。「育てるのは一筋縄ではいかないけれど、子どもが変わる過程に関われるのは幸せ。仕事し、それなりに立派にお父さんをやっている健太は、自慢の息子です」

 

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