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【社会】

撃沈日本船慰霊碑、英で再建 住民尽力「放置、正しくない」

平野丸の慰霊碑再建を計画する英西部ウェールズ・アングルの住民ら。右から7人目が郷土史家デービッド・ジェームズさん=4月(カメラマンの加藤節雄氏撮影・共同)

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 第1次大戦末期の1918年、英西部ウェールズ沖でドイツ潜水艦に撃沈され、210人が死亡した日本郵船の貨客船「平野丸」の犠牲者を悼む慰霊碑がウェールズ南部で地元住民により再建され、沈没からちょうど100年となる10月4日に除幕式が行われる。遺体は手厚く葬られたが、木の墓標が朽ち果てたため、地元住民が同じ場所に再建を計画した。 (アングル・共同)

 日本ではほとんど知られていない史実で、住民が慰霊のため動き始めたことに、日本郵船は「洋上で遭難した場合、形見の品が遺族に戻ることすらまれだ。現地の方々に感謝している」として、慰霊碑の再建が両国の交流促進につながることを期待している。

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 ドイツは第一次大戦で英国など連合国に加わった日本の商船も攻撃対象とし、平野丸の犠牲者数は第一次大戦の日本の商船被害で最大とされる。

 日本郵船によると、平野丸には外国人を含む乗客九十七人と英国人船長ら乗員百四十三人が乗っていた。英中部リバプールから横浜に向かう途中、潜水艦の魚雷を受けて沈み、乗客八十六人、乗員百二十四人が死亡した。住民によると、遺体二十体以上が少なくとも四カ所に流れ着いた。

平野丸の沈没11日後の建立と記された木の墓標の古写真=アングルの住民所蔵・共同

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 ウェールズ南部アングルの教会の埋葬記録には「Shiro Okoshi」ほか氏名不詳の九人の記載がある。乗員名簿から船の給仕だった大越四郎さん(茨城県出身)らとみられる。教会の庭に立つ木の墓標を写した古写真も残り、墓標には沈没の十一日後に建立されたと記されている。

 地元の郷土史家デービッド・ジェームズさん(80)が失われた墓標の場所を特定。再建に向け地元住民らが募金を行い、日本郵船にも資金協力を依頼した。十人の慰霊碑除幕式には住民や日本郵船関係者らが出席する。

 ジェームズさんは「戦争で亡くなった人々の墓が放置されているのは正しくない。きちんと弔われるべきだ」と話している。

第1次大戦末期、ドイツ潜水艦に撃沈された日本郵船の貨客船「平野丸」=日本郵船歴史博物館提供・共同

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<平野丸> 1908年に長崎市の三菱造船所(当時)で造られた日本郵船の貨客船。横浜と英リバプールを結ぶ欧州航路に就航し、歌人与謝野晶子もフランスから帰国する際に乗船した。第1次大戦の終戦約1カ月前の1918年10月4日午前5時すぎ、ウェールズ沖を米軍艦率いる船隊で航行中、ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受けて約7分で沈没した。乗客、乗員の約9割に当たる計210人が死亡し、英国人のフレイザー船長も命を落とした。横浜市の総持寺には、第1次大戦時の他の商船も含めた日本郵船の殉難船員の慰霊碑がある。 (共同)

 

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