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【社会】

湯川博士、核廃絶運動の契機 54年ビキニ事件 日記公開

京都大が公開した1954年9月23日の湯川秀樹博士の日記=湯川家提供

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 京都大は十一日、日本人で初めてノーベル賞を受賞した物理学者・湯川秀樹博士(一九〇七〜八一年)の日記のうち、太平洋・ビキニ環礁での米国による水爆実験で静岡県の漁船「第五福竜丸」が被ばくした五四年のビキニ事件に関する記述を公開する。

 湯川氏は五五年に核戦争の危険性を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」に連署し、五七年には核廃絶を掲げる科学者らが参加する第一回パグウォッシュ会議に出席。ビキニ事件を機に、平和運動により積極的に取り組んでおり、その過程を知る資料となりそうだ。

 日記を分析している小沼通二慶応大名誉教授は「湯川氏が思索の人から行動の人に移った時期に当たる。ビキニ事件の意味を考え抜いて核廃絶や戦争反対への思いをさらに強め、具体的な行動を取った」と話している。

 ビキニ事件が初めて新聞で報じられた五四年三月十六日の日記には「水爆実験による真っ白な灰を被ったマグロ漁船第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断 水爆症と推定」と記載。同三十日付の新聞に「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は、他のどの目的よりも上位におかれるべきではなかろうか」と寄稿し、核廃絶に向けた意思を示した。

 五四年は国会で原子力関連予算が初めて成立した年で、四月二日には「国会 自由党総務会で原子力について話す」と記している。岡山県や福岡県で原子力と人類をテーマに講演した様子も記述。「聴衆三千名に近い」(十二月六日)などと書き込まれており、市民の関心の高さがうかがえる。

 一方、九月二十三日には「ビキニ死の灰の被害者久保山愛吉氏死去の報あり 新聞記者ら夜おそくまで押しかける」とつづった。

 日記は、京大湯川記念館史料室のホームページで閲覧できる。昨年十二月には終戦前後を記した四五年分が公開され、湯川氏が海軍の依頼で進められた原爆研究に関わっていたことが裏付けられた。

 <ビキニ事件> 1954年3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で、広島原爆の約1000発分の爆発力を持つ水爆「ブラボー」の実験を行い、近くの島の住民や周辺海域にいた漁船が被ばくした。静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人も放射性物質「死の灰」を浴びた。約半年後に無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=が死亡し、日本で反核世論が高まる契機となった。

 

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