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【社会】

明るく情熱的なステージ 西城秀樹さん 脳梗塞後も前向き

日本武道館で行われた東京音楽祭世界大会で熱唱する西城秀樹さん=1978年

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<評伝> 十六日死去した歌手の西城秀樹さんは明るく情熱的なステージで知られ、「ヒデキ」の愛称で幅広い世代に親しまれた。脳梗塞で体が不自由になった後も懸命なリハビリで芸能活動を継続。還暦を迎えて出したアルバムに新曲を収録するなど、常に前を向いていた。

 子どもの頃に兄と組んだバンドでドラムを担当し、音楽に親しんだ。「恋する季節」でデビューしたのは一九七二年。一八〇センチを超す細身の長身、長い髪を振り乱しながら歌う野性味あふれる歌唱スタイルが受け「激しい恋」「傷だらけのローラ」などヒット曲を連発した。

 当時は郷ひろみさんや野口五郎さんと「新御三家」と呼ばれ、アイドルとしての人気が高かった。ただ西城さんの絶唱する歌い方は海外のロックから学んだものだった。生前、西城さんは「(米国の歌手)ジャニス・ジョプリンの影響があった。ベンチャーズ、ビートルズなど洋楽が大好きだった」と語っていた。

 運動神経も抜群で、テレビの芸能人水泳大会などに出場して活躍した。しかし、この体力への過信が、順調だった人生を変えた。サウナでの無理な減量が裏目に出て、二〇〇三年に軽い脳梗塞で入院。退院後は脳梗塞をテーマにした講演に取り組み、自身の経験を発信したが、一一年に再び脳梗塞に見舞われた。

 だが西城さんは諦めなかった。家族のサポートを受けながらリハビリに精を出し、週に五日はストレッチやプールでのウオーキングをして回復に努めた。一五年に還暦を記念して制作したアルバム「心響 KODOU」を発表。三千百二十日ぶりの新曲「蜃気楼(しんきろう)」で、困難から立ち上がる勇気を歌った。

 還暦を迎えての記者会見も印象的だった。若い頃に出演していたカレーのCMの「ヒデキ、感激!」というせりふをもじって、「ヒデキ、還暦!」と叫んだ西城さん。脚が不自由になり、滑舌も悪かったが、憂鬱(ゆううつ)なことを全て吹き飛ばそうという熱い気持ちを感じさせた。まさに大ヒット曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の歌詞通りの生き方。早過ぎる死が残念でならない。 (共同・松木浩明)

 

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