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【社会】

特攻の最期、73年経て特定 米艦炎上の映像見つかる

1945年4月29日、西口徳次中尉が搭乗した戦闘機の攻撃を受けた米軍の駆逐艦ヘイゼルウッドの映像。艦橋部分(中央)から煙が上がっている=豊の国宇佐市塾提供

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 鹿児島県の鹿屋(かのや)基地から零式艦上戦闘機(ゼロ戦)で出撃した特攻隊員の西口徳次中尉=当時(23)=が一九四五年四月、沖縄近海で米軍の駆逐艦ヘイゼルウッドに突入した直後に同艦が大破、炎上している状況を記録した約二分半の映像が見つかった。二十七日、京都市内で開かれた慰霊祭で上映され、遺族らが七十三年を経て最期の様子を目にした。

 西口中尉の妹前田かよ子さん(80)=兵庫県芦屋市=は「まさか今になって見られるとは。見つけてくださりありがたい」と見入った。

 遺族から依頼を受けた大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が、米国立公文書館で映像と関連資料を発見。遺族が持っていた旧海軍の出撃に関する記録と照合し、一致した。調査した同塾の織田祐輔さん(31)は「旧日本軍の記録は処分されたものも多く、日米双方の記録から特攻隊員の最期を特定できた珍しい事例だ」としている。

西口徳次さん=遺族提供

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 映像はモノクロで、救難するため駆け付けた米艦船から撮影したとみられる。ヘイゼルウッドの戦闘報告書によると、四五年四月二十九日午後五時三十分、敵戦闘機が接近し、機銃掃射しながら同艦に命中した。搭載された爆弾が爆発し、火災が発生。少なくとも四十六人が死亡した。

 一方、遺族が鹿屋航空基地史料館から入手した記録では、西口中尉は同日午後二時四十二分に発進。同五時三十四分に「我敵艦に必中突入中」と打電し、消息が途絶えた。記録された時刻がほぼ一致している上、西口中尉が機銃掃射が可能だった機体に搭乗していたことが、特定の決め手となった。

<特攻> 爆弾を装着した航空機や潜水艇で米軍などの艦艇に体当たりした旧日本軍の攻撃。陸海軍で部隊が編成された。戦況が悪化した太平洋戦争末期にフィリピンや沖縄などで本格的な作戦として決行され、人間爆弾とも言われる特攻機「桜花」や人間魚雷「回天」、ボートに爆弾を積んだ「震洋」「マルレ」といった兵器も登場した。

 

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