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【社会】

星野弘さん死去、87歳 東京大空襲訴訟原告団長

空襲被害者への補償を訴える全国空襲連の星野弘さん=2014年8月15日、東京都江東区で

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 東京大空襲訴訟原告団長で全国空襲被害者連絡協議会名誉顧問の星野弘(ほしのひろし)さんが十七日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。八十七歳。東京都出身。通夜は二十一日午後六時から、葬儀は二十二日午前十一時から東京都葛飾区白鳥二の九の一、四ツ木斎場で。喪主は妻雅子(まさこ)さん。

 一九四五年三月十日、十万人が亡くなったとされる東京大空襲で自宅を焼かれ、養子縁組していた叔父夫婦を亡くした。九七年、大半が不明だった死者の氏名の記録を始め、二〇〇一年に発足した東京空襲犠牲者遺族会で会長を務めた。

 〇七年、元軍人のような補償がない民間の空襲被害者の救済を国に求め、原告百三十一人による東京大空襲訴訟を起こしたが、最高裁で敗訴が確定。一〇年に全国空襲被害者連絡協議会を結成し、超党派の国会議員連盟とともに、障害を負った被害者への一時金や空襲の実態調査を柱とする立法運動を進めていた。

◆「受忍」の不条理、訴え続け

<評伝> 「機銃掃射で手を奪われた女性も、親を亡くした孤児にも補償がないんです」

 二〇〇五年、東京・押上の木造アパートにあった事務所で、提訴準備中の星野さんに会った。穏やかな口調に、被害を放置した国への怒りがにじんでいた。

 東京大空襲のときは中学生。猛火の中を逃げ回った後、遺体回収を手伝った。「トタン板に乗せ、公園まで引きずった。手足が取れても拾う余裕はなかった」「川底から、母親の髪を握りしめた一、二歳の女の子が浮かんできた」。銃後の地獄が原点になった。

 六十代になって「遺体が見つからず、お墓も空(から)の人もいる。せめて名前だけでも」と、都に犠牲者名簿の収集を求めた。高齢の遺族らに「行政を待っていたら、死んでしまう」と頼まれ、自ら町内会などを調査。都も記録を始め、約四千人だった名簿は約八万人まで増えた。

 しかし、元軍人が総額六十兆円も補償されてきたのに、民間人は「戦争被害は受忍しなければならない」と拒まれている。身元不明の遺骨は、関東大震災の犠牲者を納めた東京都慰霊堂に「間借り」状態。「なぜこんな扱いをされるんだというのが皆の思い」と、提訴は名誉回復を求める意味合いが強かった。

 今年二月に胃がんで入院する前も「自分のしてきたことをまとめています」と前向きに話していた。国会の混乱などで、提出されていない救済法案の行方を見届けたかったはずだ。「戦争の後始末を」という訴えに、政治はどう応えるのか。 (橋本誠)

 

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