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【社会】

陸前高田と小笠原 1300キロ超え 心の交流

小笠原村のセーボレー孝さん(右)にメッセージを手渡す陸前高田市の及川修一さん=東京都小笠原村の父島で(嶋邦夫撮影)

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 約180年前の出来事をきっかけに、1300キロ以上離れた小笠原諸島(東京都小笠原村)と岩手県陸前高田市が交流を続けている。江戸時代、嵐で遭難した陸前高田市の商船を父島の欧米系島民が助けた。村民有志は米国からの返還50年を機に、このエピソードを子どもたちにも知ってもらおうと、絵本制作に取り組んでいる。「遠く離れた二つの場所が奇跡的に結ばれた縁を大切にしたい」。30日夕の返還記念式典を前に、子孫らが面会し、親交を深めた。 (神野光伸)

 父島では二十九日、返還記念式典出席のため訪れていた陸前高田市議会副議長の及川修一さん(62)と、島民の子孫で村総務課長のセーボレー孝さん(60)が顔を合わせた。及川さんは、遭難した船の所有者の子孫、及川庄八郎さん(84)=同市=の親戚。高齢で式典出席がかなわなかった庄八郎さんからの手紙をセーボレーさんに手渡した。手紙では、村を「身近に感じる」とつづっている。

 一八三九年十一月、小友村(現・陸前高田市小友町)を出港した中吉丸(なかよしまる)が、江戸に海産物を届ける途中、遭難し、翌年一月に父島に漂着した。この十年前から父島に定住し始めた米国人らは、船の修理を手伝うなど支援。船員六人は約三カ月後に帰路につくことができた。

絵本で使われる父島漂着時の中吉丸=絵本のイラストを担当する三橋広大さん提供

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 父島から千葉県銚子市にたどり着き、江戸幕府から取り調べを受けたものの、全員無事、故郷に戻ることができた。こうした経緯は、村民の言い伝えや、一八五三年に父島に寄航して島民から話を聞いた米艦隊ペリー提督の航海日誌にも記録が残っている。陸前高田市には二〇一一年の東日本大震災まで、島民が船員に贈ったとされるべっ甲のかんざしなどの餞別(せんべつ)品が保管されていた。

 一〇年に及川庄八郎さんらが「小笠原村にお礼を言いたい」と交流が始まり、子孫が訪問し合うなどしてきた。陸前高田市にあった餞別品の村での展示も実現。震災時には、村は被災した市に義援金や車いすを贈るなどの支援をしている。

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 絵本づくりは、セーボレーさんらが昨年二月から始め、今秋の出版を目指している。両市村の小学校などに配布する予定だ。ペリー提督に中吉丸の漂着を伝えた島民を先祖に持つセーボレーさんは「村と市にとって大切にしたい歴史。子どもたちに伝えていければ」と話す。

 船員の子孫、鈴木敬一さん(77)は今回、島への訪問はできなかったが、「島民は先祖を温かく迎え入れてくれたと聞いている。助けてもらわなければ子孫の今はない。ありがたい」。庄八郎さんは、大震災で義援金などを贈ってくれた村に感謝を示し、「これからもずっと交流を続けたい」と願っている。

 

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