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【社会】

小笠原、返還50年で式典 住民「豊かな島になった」「緊急時のため空路を」

小笠原諸島返還50周年を記念した祝賀パレードで、郷土芸能の「南洋踊り」を披露する島民ら=30日、東京都小笠原村の父島で

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 小笠原諸島(東京都小笠原村)が米国から返還されて五十年を祝う記念式典とパレードが三十日、村役場がある父島で開かれた。島民は「生活しやすくなり豊かな島になった」と半世紀の発展を喜ぶ一方、「緊急時のために飛行場建設を実現して」と願った。 (神野光伸)

 パレードは小池百合子知事と森下一男村長を先頭に、島の玄関口にあたる二見港前を出発。沿道は島民で埋まり、郷土芸能の南洋踊りやフラダンスなどで盛り上げた。

 パレードに参加した父島在住の大沢キヌヨさん(77)は、夫とともに移住した四十五年前を「楽園のような島だと聞いていたのに、何もなく原っぱのようだった。食べ物の確保にも苦労した」と振り返る。

 島は近年、若い世代の移住で活気づく。「生活しやすくなり、豊かな島になった。ここまでの道のりは長かった」。ただ、本土と島を結ぶ定期船は六日に一便しかなく、「緊急時のために空路就航を実現してほしい」と求めた。

 母島在住の小高常義さん(82)は祝賀会で、首飾りに腰蓑(こしみの)姿で南洋踊りを披露した。戦前にミクロネシア地域から伝えられた踊りを「小笠原に根付く貴重な文化」と継承に努めてきた。踊りは二〇〇〇年に都無形民俗文化財に指定され、「島ぐるみでアピールしていければ」と決意を語った。

 米国統治下の十二年間、島にあった初等学校の教師だった米国人ジョージ・ヨコタさん(86)=ハワイ在住=は、沿道からパレードを見守った。当時、日本語を一切使わせない学校で、英語や数学を教えた。返還と同時に教科書が英語から日本語に変わったといい、「教え子たちは大変だったと思う」と懐かしんだ。

 ヨコタさんは一九六八年にハワイに戻ったが、その後もたびたび訪島。教え子たちに囲まれることもあり、「年を取ったが、返還五十年の節目に訪島できたのは夢のようだ」と語った。

 

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