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【社会】

桂歌丸さん死去 笑点の顔 古典落語に力

2011年10月18日、イイノホールのこけら落としで高座に上がる桂歌丸さん=東京都千代田区内幸町で(川柳晶寛撮影)

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 人気テレビ番組「笑点」のレギュラーを長く務め、軽妙な語り口で人気を博した落語家の桂歌丸(かつらうたまる)(本名・椎名巌(しいないわお))さんが二日午前十一時四十三分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去した。八十一歳。横浜市出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻の椎名冨士子(しいなふじこ)さん。お別れ会(告別式)を十一日午後二時から、横浜市港北区菊名二の一の五の妙蓮寺で開く。

 一九三六年、横浜市で遊郭を営む家に生まれた。五一年、十五歳で五代目古今亭今輔(いますけ)さんに弟子入りし、古今亭今児を名乗った。一時落語界を離れたが、兄弟子だった桂米丸さんに再入門し、桂米坊に改名。六四年に歌丸となり、六八年春に真打ち昇進した。

 二つ目時代の六六年五月に「笑点」の放送が始まると、大喜利のレギュラーに抜てき。ほかのメンバーとの丁々発止のやりとりが人気を集め、二〇〇六年からは五代目司会者を務めた。

 テレビで人気を集める一方、新作派の師匠から古典落語を習得することの大切さを説かれ、せりふの間や型を学ぶため歌舞伎を熱心に鑑賞。歌舞伎の知識や素養が必要な難しい演目にも取り組み、めきめきと実力を付けた。埋もれていた演目の掘り起こしにも力を入れ「おすわどん」「いが栗」などを復活させた。九四年からは落語中興の祖、三遊亭円朝が手掛けた「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」などの大作に挑み、ライフワークとした。

 〇四年には所属する落語芸術協会の会長に就任。落語の普及や有望な若手の育成に努め、新規ファンの獲得に結びつけた。

 一〇年七月からは地元の横浜・野毛の演芸場「横浜にぎわい座」の二代目館長を務めていた。〇七年に旭日小綬章、一六年には文部科学大臣表彰を受けた。

 〇九年ごろから体調を崩し、高座を休演することも増えた。骨折や肺炎、腸閉塞などで入退院や手術を繰り返し、一六年五月の番組五十周年の節目に、笑点を降板。高座にはその後も上がり続けたが、今年四月十九日に東京・国立演芸場で披露した「小間物屋政談」が最後となった。

 

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