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【社会】

なぜ凶行、闇のまま 一審途中から沈黙 麻原死刑囚の刑執行

1990年10月、「オウム真理教」の集会で講演する麻原彰晃死刑囚=東京・代々木公園で

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 首都を走る地下鉄の車内に猛毒サリンが散布された無差別テロ事件から、二十三年余り。犯行を首謀したオウム真理教元代表の麻原彰晃(しょうこう)死刑囚(63)=本名・松本智津夫(ちづお)=と、元幹部ら計七人の死刑が六日、一斉に執行された。教団による一連の事件の被害者は、死者二十九人、負傷者六千五百人以上。犯罪史上例のない被害をもたらした事件は、一つの区切りを迎えた。遺族からは「『その時が来た』という思いだ」という声が上がった。 

 「全く動かず、普通ではない感じがした」。民主党政権時代に法相を務めた平岡秀夫氏は、就任直後の二〇一一年秋ごろ、東京拘置所で、モニター越しに麻原彰晃死刑囚を見た時の様子を振り返った。

 この日の死刑執行については「私が見た印象や周囲の情報からすると、執行には違和感がある。私だったら、執行しなかっただろう。どのような経緯で執行されたのか、検証すべきだ」と述べた。

 麻原死刑囚は一九五五年三月、熊本県金剛村(現・八代市)で生まれた。目が不自由だったことから県立盲学校に入学。卒業後に上京して予備校在学中の七八年に結婚後、鍼灸(しんきゅう)師として生計を立てていた。

 麻原彰晃を名乗って東京都内でヨガ教室を開き、八四年二月に教団の前身の「オウム神仙の会」を立ち上げた。オカルト雑誌などを通し、自身の「空中浮遊」写真を掲載したり、「神秘体験」を前面に押し出すなど、巧みな宣伝活動で信者を獲得していった。八六年に渡航先のインドで「最終解脱」を果たしたとして「グル」を自称。教団内で絶対的な存在となった。

 東京地裁での一審では、英語を交えて持論を展開し、最後は全く発言せず、弁護団とも意思疎通ができなくなった。控訴審に向けて麻原死刑囚の責任能力が問題になると、東京高裁は二〇〇五年に精神鑑定を実施。鑑定医は「訴訟能力はある」と判断した。

 麻原死刑囚の四女が両親との相続関係を断つ申し立てをしたのを受けて、横浜家裁が昨年五月、東京拘置所に麻原死刑囚について照会。拘置所は「身体の機能は保たれており、明らかな精神的障害は生じていないと思われる。かたくなに面会は拒否しているが、運動、入浴などの場合は抵抗することなく居室から出てくる」と回答したという。

 一方、弁護団は六人の精神科医に鑑定を依頼し、重篤な拘禁反応などの疑いがあるなどと反論。麻原死刑囚は十年近く、親族や弁護団との面会に応じていない。

 

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