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【社会】

戸惑い、区切り 遺族ら複雑 高橋シズヱさん「その時がきた、それだけ」

麻原彰晃死刑囚らの刑が執行され、記者会見する地下鉄サリン事件被害者の会代表の高橋シズヱさん(手前)=6日、東京・霞が関の司法記者クラブで

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 麻原彰晃死刑囚は最後まで事件の真相を語らなかった。刑執行の報を受け、被害者遺族らの胸には複雑な思いが交錯した。「死刑は当然」と気丈に語る唇は震え、「うやむやのまま」と悔し涙が流れた。 (越田普之、加藤豊大、斉藤和音、柘原由紀)

 「娘夫婦には、麻原が死刑になったという報告をするつもりはない。それで、子どもたちが喜ぶわけでもないから」。一九八九年十一月の坂本堤(つつみ)弁護士一家殺害事件で殺害された坂本弁護士の妻都子(さとこ)さんの母、大山やいさん(84)=茨城県ひたちなか市=は目をつむり、言葉をつないだ。

 「あれだけ人を痛めつけたのだし、死刑は当然だった。三十年近くたっても、娘夫婦のことを考えない日はない」とぽつり。当時、孫の龍彦ちゃんは一歳だった。坂本さん夫婦と一緒に写った写真を見つめ、「見るたびに悔しくてたまらない」と唇を震わせた。

 坂本弁護士が所属した横浜法律事務所(横浜市中区)では、母さちよさん(86)のコメントを同僚だった弁護士が読み上げた。麻原死刑囚について「死刑になるべき人だとは思う」と怒りをあらわにする一方、「人の命を奪うことは嫌だなあという気持ちもあります」と戸惑いもつづられた。

 「事件が起きてから今まで、長い時間だったなあと思います。堤、都子さん、龍彦には『終わったね。安らかにね』と言ってあげたいです」。そう結ばれた。

 十三人が死亡した九五年の地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(71)は、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、死刑執行について「その時がきたなと、それだけしか思いはありません」と気丈に語った。

 長野県松本市の住宅地に猛毒のサリンがまかれて八人が死亡した九四年の松本サリン事件。信州大経済学部二年だった長男の阿部裕太さん=当時(19)=を亡くした父親の和義さん(75)=東京都新宿区=は「二十四年待った。とても長かった。ただほっとしている。何をしても裕太は戻らない。もう涙もないが、ようやく一区切りつくことができる」と静かに話した。

 同じ松本サリン事件で、信州大医学部生だった安元三井(みい)さん=当時(29)=を亡くした母親の雅子さん(81)=富山市=は「うやむやのままで麻原は死んでいった。どうしてあの子は死ななきゃならなかったのか。私自身それを知ることはできなかった」と悔しさがにじんだ。「(事件が起きた)その日に戻った感覚。執行されることは分かっていたが、動揺し、号泣してしまった」

 

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