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【社会】

「生真面目さ」の暴走 終わらぬオウム事件

◆編集局次長・瀬口晴義

 麻原死刑囚とともに刑が執行された六人の中には拘置所で会い、手紙のやりとりをした元幹部もいた。老人のように真っ白になった髪の毛を思い出す。

 教祖の道連れにされたような弟子たちは麻原死刑囚を「師」に選ばなければ実直に生きて社会に貢献したはずの人たちだ。裁かれるべき加害者であると同時に人生を狂わされた被害者。それがこの事件の特異性だ。

 社会変革を目指した学生運動が挫折した後の一九八〇年代、物質文明がもたらした負の側面を直視しようという意識が高まり、ニューエイジと呼ばれる潮流が広がった。「自分が変われば世界が変わる」という考え方だ。「退屈を満たすものを自分の外ではなく、内側に求めたかった」と元信者が語っていたように、教団は解脱や悟りなど内面の変革を希求する一部の若者の心を捉えた。

 「貧・病・争」の克服を目指した戦後の新宗教とは対照的に、オウムに魅力を感じた若者たちが求めていたのは「生のむなしさ」への解答だ。教団が八〇年代後半のバブル経済真っ盛りに伸長したことは偶然ではない。

 麻原死刑囚は「救世主」であるという妄想と強烈な破壊願望を膨らませた。生真面目であるが故に社会のあり方に違和感を感じていた信者は、神秘体験や生のむなしさへの解答をインスタントに与えてくれる「師」を求めた。「共同幻想」が共振し教団は暴走した。

     ◇

 「世紀の裁判」と呼ばれたが、麻原死刑囚は事件と正面から向き合おうとはしなかった。弟子への責任転嫁と沈黙によって自らを守ろうとしたとしか思えなかった。二〇〇四年の一審の死刑判決後、弁護団が期限内に控訴趣意書を提出しなかったことを理由に、二審の審理に入る前に打ち切られるという異例の展開をたどった。弁護人の対応に問題があったとはいえ、感情的ともいえる東京高裁の判断が後世の批判に耐えられるのか、今も疑問に思う。

 中川智正、土谷正実死刑囚はサリン生成にかかわった。贖罪(しょくざい)意識もあったのだろう。二人はテロ防止対策を大統領に助言する米国のシンクタンクのリチャード・ダンチック会長や毒物学の世界的権威である米コロラド州立大学のアンソニー・トゥ教授の面会に積極的に応じてきた。中川死刑囚は「あと数年でオウムは大量生産を達成していたであろう」と語っている。

 井上嘉浩(よしひろ)死刑囚は高校生の時に入信、十八歳で出家した。「修行の天才」と持ち上げられ、教団の中で“純粋培養”され、「諜報(ちょうほう)省」トップとして数多くの非合法事件にかかわった。カルト宗教の恐ろしさを知るための「生き証人」として彼らから証言をもっと引き出しておくべきだった。

 坂本弁護士一家殺害事件での初動捜査の失敗、松本サリン事件後に再びサリンを使用されることを防げなかった治安機関としての失態、警察庁長官狙撃事件での公安警察の迷走−。オウム事件は警察組織の問題点もあぶり出したが、公的な検証はなされていない。

 事件のことを知らずに教団の後継団体に入る若い世代も多いという。教訓をいかに受け継いでいくのか。さまざまな角度から、事件に光を当てる努力を続けなければならない。

 

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