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【社会】

西日本豪雨広島・熊野町 球児「今できることを」大会目前、ボランティアに汗

ボランティアのために帰省し、土砂のかき出しをする田中皓大さん(左)=14日、広島県熊野町で

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 西日本豪雨の被災地で、ボランティアに励む丸刈りの高校生たちがいる。十二人が死亡・行方不明となった広島県熊野町で、地元の野球部員らが汗を流した。集大成となる大会を目前に控えた三年生は練習ができないことに動揺しつつ、「困っている人のために」と土砂と向き合った。(加藤健太、写真も)

 広島県西部の山あいにある二万四千人が住む熊野町。初神地区の小田原知城(ともき)さん(45)方は近くの川が氾濫し、一階に大量の土砂が流れ込んだ。泥のかき出しで力になったのが、熊野高校の野球部員だった。

 「今できることは、困っている人の手伝いじゃないか」。近くに住む加百(かど)瑞己主将(18)が部員十八人に呼び掛け、三年生を中心に参加。休校となった十日から二日間、腰の高さまで積もった土砂を一輪車で何往復もして運び出した。十二日も別の民家で復旧を手伝った。小田原さんの妻のり子さん(41)は「はつらつと機敏に動いてくれた。一番、練習したい時期だろうに」とおもんぱかった。

 豪雨が襲った六日から全体練習は中止となり、親族らが浸水被害に遭った部員もいた。七日に開幕予定だった県大会も十七日に延期。「百回目の記念大会だったので」と熊野ナインも楽しみにしていた開会式の入場行進は取りやめになった。部員たちは自主的に素振りや筋トレをして、プレーの感覚が鈍らないようにした。

 熱い日差しが降り注ぐ十四日、ナインは全体練習を再開した。ただ、グラウンドの隣に避難所があり、掛け声を出すのも気が引けた。清水柊弥(しゅうや)副主将(18)は「こんな時に野球をしてていいのかという思いは今もあります」と打ち明ける。

 だが、部員に助けられた小田原のり子さんは言う。「球児の頑張りが私たちの励みになる。精いっぱいプレーしてほしい」。十年ぶりの勝利を目指す初戦は、二十日。加百主将は「町全体が明るく元気になれるようなプレーをしたい」と誓った。

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 そして小田原さん方ではこの日、別の球児がスコップを振るっていた。熊野町出身で、島根県出雲市の高校に通っている一年生の田中皓大(こお)さん(15)だ。

 「居ても立ってもいられなくなって」。下宿先で友人から送られた故郷の写真を見ると、よく遊んだ場所が濁流にのまれていた。一緒に駅伝大会に参加した下級生は犠牲になった。この三連休でボランティアをするため帰省した。

 気温は三五度に迫り、額には大粒の汗。「めっちゃ暑い」と言いつつ、「困っている人の力になりたい」と表情を引き締めた。苦難が続く被災地で、地元の球児たちが善意をつないでいる。

 

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