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【社会】

橋本忍さん死去「常に作品に自信」 「羅生門」「七人の侍」

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 橋本忍さん(はしもと・しのぶ=脚本家)19日、肺炎のため死去、100歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長女綾(あや)さん。

 日本映画の黄金時代を代表するシナリオライター。伊丹万作監督に師事した。50年の「羅生門」(黒沢明監督と共作)がベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞して一躍脚光を浴びた。以後、「生きる」「七人の侍」など黒沢作品の脚本の共同執筆に参加した。

 脚本を務めた他の主な映画に、松本清張さん原作の「張込み」「砂の器」や、「切腹」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」など。脚本・監督作に「私は貝になりたい」がある。

 日本シナリオ作家協会理事長を務めた。著書に「複眼の映像 私と黒澤明」がある。

◆橋本さんに師事 脚本家・中島丈博さん

 日本映画の名作を数多く手掛けた脚本家橋本忍さんに師事し、NHK大河ドラマ「草燃える」「炎(ほむら)立つ」などを書いた中島丈博さん(82)に哀悼の言葉を寄せてもらった。

     ◇

 二十四、二十五歳のころ、毎日自宅に通い仕事への姿勢を徹底的に教わった。先生には「一日八時間は机の前に座っていろ。まず座ることから始まり、書き続けてものになっていくのだから」と言われた。立っていいのは昼食時とトイレに行く時だけ。

 映画やテレビドラマの一場面を書くように言われた。手取り足取り教えるのではなく追い詰めて考えさせる。書いても一日に十回ぐらい「違う」と突き返された。どう書いたらいいか分からずに苦しんでいると「時間切れ」と言って手を入れてくれる。自分の文章が残るのは一、二行だけ。でも残るとうれしかった。

 何度も突き返すことは面倒だったと思う。先生が書いた方が早いから。でも「こいつをどうにかしないと」と思っていてくれた。褒められたことはないが、後にほかの人から「あいつは才能があるから、うちに置いた」と話していたと聞き、うれしかった。

 先生は自分の脚本に常に自信を持ち「直しはしません。そこからすべて崩れるから」と言っていた。とてもまねできない。

 最後に会ったのは亡くなる前日の十八日。もうろうとしていたが、僕を認識して「中島くん、悪いね」とベッドから起き上がり、少し話した。何度も持ち直してきたので、大丈夫だと思っていたが…。ついにこの日が来てしまって喪失感がある。とは言え、僕も八十二歳。救いは僕がお見送りできたことだ。僕らには越えられない、そびえ立つ山のような存在。立派な脚本家だった。 (聞き手・猪飼なつみ)

 

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