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【社会】

死刑囚の息子、葛藤20年 和歌山 毒物カレー事件

林真須美死刑囚との面会後、ノートを見ながらやりとりを振り返る長男=大阪市都島区で

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 一九九八年に和歌山市で起きた毒物カレー事件は、二十五日で二十年を迎えた。殺人罪などで死刑が確定した林真須美死刑囚(57)の長男は現在三十歳。小学五年で両親が逮捕され、その後はいじめや婚約破棄を経験した。母を恨んだ時期もあったが、「無実を訴える母を信じたい」。一方で犠牲者への思いもあり、葛藤は消えない。 (渡辺泰之)

 六月二十一日、長男は林死刑囚と大阪拘置所で向き合った。約一年ぶりの面会。間仕切りの向こうの母は、白髪交じりでやつれているように見えた。

 長男は今まで聞けなかった問いを投げかけた。「子に申し訳ないという思いはないの?」。事件に翻弄(ほんろう)された自分と、三人の姉妹。母は表情を崩し、「そう思ってる。その質問が一番、怖かった」と答えたが、事件に話が及ぶと「やっていない」と言い切った。

 長男が十歳のとき、地元の夏祭りでカレーにヒ素が混入され四人が死亡し、父(73)と母に疑惑の目が向けられた。家の周りを取り囲む報道陣に母がホースで水を掛ける姿が連日、メディアに取り上げられた。

 両親は約二カ月半後の十月四日、保険金詐欺容疑で和歌山県警に逮捕された。楽しみにしていた運動会の日。母は前夜、「弁当を作ってあげる」と言ってくれたが、朝目覚めると、一緒に寝ていたはずの両親はいなかった。母はその後、殺人容疑で再逮捕された。

 身寄りがなくなり、きょうだい四人が暮らした児童養護施設では、陰湿ないじめが続いた。あだ名は「ポイズン(毒)」。上級生からの暴力は日常でカレーに乾燥剤を入れられて吐いたこともあった。「なぜ僕だけが…」。母から誕生日やクリスマスに毎年届く手紙は読まず、施設の裏の川に捨てた。

 大人になり、全ての事情を分かったうえで結婚を決めてくれた女性がいた。

 「親は事故で死んだ」。家族には事実を隠して生きていこうと二人で決めた。ただ、相手の親に「将来、お墓はどうするの?」と聞かれたとき、うそを重ねることに限界を感じた。身の上を話すと「娘を死刑囚と同じ墓に入れるのか」。昨夏、婚約は破談になった。

 死刑囚の子として生きてきた自分の境遇を恨んだ時期もある。でも、思い出すのは優しい母の姿ばかりだ。誕生日に弾いてくれたピアノ。連れて行ってくれた旅行。刑期を終えた父と話し、長男は自分でも判決文を読んだ。「本当にあの母がやったのか」。疑う気持ちはあったが、それでも「信じたい」と思うようになった。

 一方で、犠牲者の家族の気持ちも分かる。「一歩間違えると、殺人犯の肩を持つことになってしまう。凶悪犯の味方をしているのか不安になった」。そして、「もし本当に母の犯行なら、『信じたい』と言った以上、私も一緒に許しを請いたい」と打ち明ける。

 自分にとっての母は昔と変わらず優しい。死刑になることを考えると胸が詰まる。先月の面会時、林死刑囚は長男に「体に気を付けなさい」と声を掛けた。そして、子どものころと同じように「ぼくちゃーん」と呼び、手を振りながら部屋を出て行ったという。

◆被害者ら苦しみ今も

 毒物カレー事件が起きた地元では、今も事件の影響が残る。

 地元自治会が買い上げた林死刑囚の自宅跡地に今年、事件の風化を防ぐため植樹する計画が持ち上がったが、被害者から「思い出すのがつらい」と反対の声が上がり中止された。

 「現場も林死刑囚の自宅も目の前。事件を思わない日は一日もない」。事件で二週間入院した女性(63)は今も、あの日のねっとりしたカレーの舌触りを覚えている。「おめでとうと言うのがつらい」ため、年賀状を出すのもやめた。地元の小学校ではずっと給食にカレーが出ない。自治会の夏祭りも事件以降は開かれていない。

 和歌山市保健所は先月、被害者や当時被害者のおなかにいた子への健康調査を約十年ぶりに実施。アンケートに回答した三十四人のうち一割以上が手足にしびれや痛みなどの症状を訴えた。ヒ素による末梢(まっしょう)神経障害が残っている。

 被害者の会の杉谷安生(やすき)副会長(71)は、当時高校二年の長女(36)がカレーを食べた。病院で胃の洗浄などの処置を受け、一命を取り留めた。二児の母となった今、「もう思い出したくない」と話しているという。

<和歌山毒物カレー事件> 1998年7月25日、和歌山市園部の自治会の夏祭りで、カレー鍋にヒ素が混入され、カレーを食べた4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒となった。近所に住んでいた林真須美死刑囚が殺人容疑などで逮捕、起訴された。林死刑囚は和歌山地裁の一審で黙秘。大阪高裁の二審から無罪を主張したが、2009年に最高裁で死刑判決が確定した。動機について検察は公判で「住民の冷たい仕打ちに激高した」と主張したが認められず、最高裁判決でも「(林死刑囚が)犯人であるとの認定を左右するものではない」として解明されなかった。林死刑囚は和歌山地裁に再審請求したが17年に棄却され、大阪高裁に即時抗告している。

 

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