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【社会】

遺族には風化なんてないのです 高橋シズヱさんインタビュー詳報

オウム裁判への思いを語る高橋シズヱさん=東京都千代田区内幸町で

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 −麻原彰晃元代表らオウム真理教元幹部の死刑囚の執行への立ち会いなどを遺族・被害者として要望し、今回は法務省から執行された死刑囚の氏名が遺族に連絡されました。

 麻原の執行を聞いた時は当然と思いましたが同時に弟子の六人が執行されたと聞いた時は動悸(どうき)がしました。麻原は先に執行されると考えていて残りの人たちが一緒というのは考えていなかったから。

 執行の立ち会いなどは二〇一二年から申し入れをしていました。ずっと言い続けてきて受け止めてもらったんだと思いました。

 一九九五年当時、遺族には裁判の傍聴席すら用意されず、私も抽選の列に並びました。遺影の持ち込みも裁判所に拒否されました。そこから始まったのです。

 −教団の破産手続きでは、国や自治体より被害者の債権を優先させる法律が成立しました。国がオウム事件の被害者に給付金を支払う救済法も勝ち取りました。刑事裁判への被害者参加、犯罪被害者基本法の制定など、被害者の権利は広がりました。

 犯罪被害者はいつも脇に追いやられていました。亡くなった主人が東大医学部法医学教室で司法解剖される時、待機していた私たちに連絡もなく遺体は葬儀会社に引き渡されてしまいました。東大医学部は遺族に配慮してパンフレットを作成し、待合室をつくるなど対応を改善しました。

 私たちは一つ一つ壁に穴をあけていったのです。裁判員制度導入も麻原裁判の長期化がきっかけになっています。

 −全員の死刑が執行されたことで、真相解明はできなくなった、という声も出ています。

 オウムの公判は四百五十九回傍聴しました。被害者参加制度で出廷した数も入れると、五百回ぐらい法廷での証言を聞いています。麻原は弟子のせいにして語りませんでしたが、ほとんどの弟子はちゃんとしゃべっているんですよ。なぜ事件が起きたかという構造は、刑事裁判でほぼ明らかになったと思います。

 「真実が語られないままだった」とか「どうして事件が起きたのか分からなくなってしまう」と言う人には、あなたはそのために何か努力されてきたんですか、と言いたいです。

 毒物学の世界的権威である米コロラド州立大のアンソニー・トゥー名誉教授は東京拘置所の中川智正に何度も会ってサリン生成方法などを聞きました。政府が特別な許可を出したのです。日本の化学者は「米国の学者だけ会わせるのか」となぜ怒らなかったのでしょうか。日本の専門家が死刑囚から話を聞いた結果を、テロ防止情報として他国に提供するぐらいやってもよかったはずです。

 −記者会見では風化についての質問がありましたが、少し感情を出して答えていましたね。

 遺族には風化なんてないのです。事件が風化していく責任を、どうして遺族が取らされなくてはならないのですか? 型通りの質問だなと思いました。被害者に向かって「風化」と言わないでほしい。風化の心配より、これから何を教訓にしていくのかを記者の皆さんには考えてほしい。

 −犯罪被害者支援のために奔走されてきました。原点は地下鉄サリン事件当日、自宅に戻った時のメディアの取材攻勢でしたね。

 夜、自宅マンションに戻り、エレベーターのドアが開くと、カメラのライトが一斉に向けられ、家には戻れませんでした。深夜、報道陣がいなくなったのを確認してやっと帰れたのです。連日のように夜中までメディアの人がずっといて、食べることも寝ることもできない状況でした。

 メディアは生活を邪魔する存在でしかありませんでした。でも、犯罪被害者の置かれた立場について声を上げると、取り上げてくれたのもメディアでした。被害者報道を考える勉強会も新聞社の有志の皆さんと続けてきました。

 被害者支援の活動では、二〇〇〇年冬の米国への三週間の研修が転機になりました。米国各地の犯罪被害者の遺族の会や支援組織を訪ねました。事件後すぐに被害者のもとに駆けつけるボランティアの支援活動に強い印象を受けました。事件後、被害者の家族に手渡される文書には、取材を受けない権利も明記されていました。

 米国で出会った遺族は自身の心境を丸めて固めた紙に例えて説明しました。周囲の支えによって丸まった紙を元に広げていくことはできるんです。でもしわは残り続ける、と。被害者の心の傷はいつまでも残っているのです。

 −麻原元死刑囚の一審の法廷では「憎しみや怒りを一生持ち続けて生きるのは、とてもエネルギーのいることで、オウムに殺されるのと同じことだ」と証言していましたね。

 憎しみや怒りは半分ぐらいに減ったかもしれません。それは事件を通じて出会った多くの人たちから学び、新しい人生が始まっていると感じているからかもしれません。PTG(ポスト・トラウマティック・グロース)という心理学の新しい考え方に共感しています。二十三年という年月を経て、被害者として客観視できるようになりました。

 −上川陽子法相がオウム裁判の記録を永久に保存し、将来は公文書館への移管も期待すると表明しました。

 要請が聞き届けられてすごくよかったです。必要だと思うことは繰り返し訴えていくことが大事だなと思いました。

 9・11の跡地の地下につくられた米ニューヨークのメモリアル施設を訪ねた時、映像や写真などの資料に圧倒されました。地下鉄サリン事件も刑事裁判の記録やいろいろな資料をいつでも、誰でも閲覧できるような資料館のようなものがつくれないかなとも考えています。

 聞き手=編集局次長・瀬口晴義

<PTG(ポスト・トラウマティック・グロース)> 日本語訳は「心的外傷後の成長」。戦争や犯罪に巻き込まれるなど、困難な危機と苦しみの中から、精神的な成長を遂げる人たちの体験とその過程。心理学の新しい考え方として注目されている。

 

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