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【社会】

西日本豪雨1カ月 広島・呉 道路寸断、今月やっとボランティア 

濁流にのまれて亡くなった兄の車の前で手を合わせる高取雅彦さん=5日、広島県呉市の市原地区で

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 西日本豪雨の被災地は六日、発生から一カ月を迎えた。広島県呉市の山あいにある二十四世帯、約五十人の市原地区は大量の土砂にのみ込まれ、住民三人が犠牲になった。約三週間にわたった孤立状態は七月末に解消されたが、ボランティアは足りず、土砂の撤去もままならない。集落の再建が危ぶまれている。 (神野光伸)

 「毎年この日は黙とうをささげてきたのに、今年はそれどころじゃなかったけんね。生まれ育った『村』がなくなってしまったから。先祖には申し訳ないんじゃけど」

 広島が七十三回目の原爆の日を迎えた六日、市原地区にある自宅を片付けにきた森川和幸さん(74)は深いため息をついた。

 豪雨発生直後、同居の妻、次男と近くの避難所に駆け込み九死に一生を得た。今も避難所での生活を強いられているが、毎日のように自宅に足を運ぶ。「命があっただけええ。そう思うしかない」と自分に言い聞かせている。

 豪雨の後、幹線道路二つが寸断された市原地区では、すぐに復旧作業に取りかかれなかった。七月末までボランティアを受け入れられず、他の被災現場と比べても復旧への動きは停滞しているように見える。重機は不足し、大量の土砂が撤去される気配はない。

 広島市の会社で働く木坂静香さん(61)は六日、約十人のボランティアに浸水した家屋から泥を運び出してもらっていた。「ボランティアなんてしたくなくなるようなひどいありさまなのに…。ありがたいことです」と感謝を示す。

 ボランティアに参加した呉市のパート浜岡深幸(みゆき)さん(54)は「原爆も豪雨も復興に向けて心一つに頑張る姿は同じ。少しでも協力できれば」と語った。だが、木坂さんは「集落がもとの状態に戻るのは十年、十五年かかるんじゃないか。二次災害も怖いし、ここにはもう住めんです」。この地区を離れることも考えている。

 広島市安芸区に住む高取雅彦さん(60)は五日、自宅そばで動かなくなった軽トラックの前に立ち、静かに手を合わせた。兄の良治さん(67)は市原地区で犠牲になった死者三人の一人。七月六日夜、このトラックのそばで避難の準備をしていた時に濁流にのみ込まれ、遺体は約二キロ離れたダムで発見された。「兄貴とは近くの川にカニやウナギを一緒に取りに行った。八月に孫と一緒に遊びに行く予定だったのに、言葉が出ない」と涙ぐんだ。

 広島県内は被害が広範囲に及び、ただでさえボランティアが足りない。市原地区のボランティア受け入れの窓口となる呉市社会福祉協議会の渡川美穂主事は「同じ地域を継続的に支援できるか見通せない。多くの人に協力してもらえれば」と支援を呼び掛ける。

 

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