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【社会】

案内活動30年以上「平和とは 考えて」 高校生語り継ぐ戦争史跡

見学者を案内する長野俊英高郷土研究班の生徒(左)=長野市の象山地下壕で

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 太平洋戦争末期、政府の中枢機能をまるごと移転させようと長野県・松代(まつしろ)地区(現長野市松代町)周辺の山麓で極秘に建設が進められた地下壕(ちかごう)「松代大本営」の関連施設で、長野俊英高(同市)の生徒たちが見学者を案内する活動を三十年以上続けている。生徒たちは「戦争が人々の記憶から消えないよう、語り継いでいきたい」と話す。 (高山晶一、妹尾聡太)

 「この削岩機のロッド(先端)は七十年たった今も抜くことができず、突き刺さったままです」

 七月末、松代大本営地下壕群の一つ「象山(ぞうざん)地下壕」。湿った空気に包まれた暗い壕内で、同校の「郷土研究班」の生徒が岩盤に突き刺さった鉄の棒について解説すると、見学者から「おお〜」と感嘆の声が上がった。この日、案内を受けたのは東京都世田谷区の大東学園高の一行。生徒会長の住吉姫咲(きさ)さん(三年)は「説明がすごく分かりやすい」と感心していた。

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 活動のきっかけは一九八五年、長野俊英高(当時は篠ノ井旭高)の生徒たちが修学旅行で沖縄県を訪れ、多くの住民が地下壕に追い詰められて犠牲になった沖縄戦について学んだこと。「地元・松代にも同じような場所がある」と調査することにし、八六年から部活動として郷土研究班が発足した。

 当時、地元の人たちの間で地下壕の存在は知られていたが、危険な場所として立ち入りが規制されていた。生徒たちが保存、公開を市に提案し、九〇年から公開がスタート。郷土研究班は見学者の案内や、工事関係者らへの聞き取りを続けてきた。

 現在は二年生六人が活動。年十回ほど、長野県内外の高校や中学などの見学者を案内している。事前に練習を重ね、ダイナマイトを使う危険な突貫工事で犠牲者が出たこと、周辺住民が立ち退きを迫られたことなど、過去の聞き取り調査で把握した工事の様子を生々しく伝える。掘削で出た大量の岩くずが戦後、東京・霞が関周辺の道路舗装に使われたというエピソードも紹介している。

 心がけているのは、主観を交えず、ありのままに伝えること。顧問の海野修教諭は「戦争がいけないのは当たり前だが、まず歴史的な事実を伝える。そこから始まるのが私たちの活動」と説明。活動を通じ、生徒たちが人前で堂々と話せるように成長したとも話す。

 班長の高野礼さん(16)は「時代が変わって、戦争を体験した方から話を聞けなくなっている。私たちが懸け橋になり、何があったのかを伝え、平和とは何かを考えてもらえたら」と話している。

<松代大本営> 太平洋戦争末期、「本土決戦」を想定して政府の中枢機能を移そうと長野県・松代地区の象山、舞鶴山、皆神山を中心に進められた計画。舞鶴山地下壕に大本営、象山地下壕に日本放送協会などが入る予定だった。1944年11月に本格的に工事が始まり、終戦までに計十数キロを掘削。現在、象山地下壕の500メートル余りが年間を通じて一般公開されている(休壕日あり)。松代大本営建設を含む本土決戦の時間を稼ぐため、沖縄戦が展開されたという歴史観もある。

 

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