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【社会】

平和、平成後も守る 終戦の日、千鳥ケ淵で

千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花し手を合わせる人たち=15日午前8時59分、東京都千代田区で

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 終戦から七十三年となった十五日。平成最後の慰霊の日は、強い夏の日差しに照らされた。三十六万柱の遺骨が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)には多くの遺族が訪れた。「次の時代も平和を誓い続ける」。戦争の記憶が遠くなる中、平和への思いをつなごうと決意を新たにしていた。

 「みんな元気でやっていますよ」。ジリジリと強い日差しが照り付ける中、埼玉県狭山市の久光宣子(のぶこ)さん(75)は今年も、亡き父に報告した。

 久光さんが生まれてすぐ出征した父は終戦の五カ月前、フィリピン・ルソン島で亡くなった。写真でしか知らない父のことは、両親や近所の人から聞かされたが、その人たちもほとんど亡くなった。福島県浪江町の実家にあった父の遺品も、七年前の東日本大震災の津波ですべて流された。

 「だんだん戦争の記憶が薄れていくようで悲しい」とぽつり。「平成は名前の通り穏やかな時代だった。新しい時代になっても、この平和が一日でも長く続いてほしい」と語る。

 慰霊は今年で三回目という相模原市中央区の高校一年、吉田武人(たけと)さん(16)は「平和への思いを自分の中にとどめておきたい」と知人二人と訪れた。

 三年前、安全保障関連法案を巡る国会デモに参加したのをきっかけに、戦争や平和に関心を持つようになり、同世代の若者たちと勉強会を開いている。

 吉田さんは祖母から、曽祖父が南方戦線に出征し、病気で亡くなったと聞かされた。「戦争の記憶を僕たちが引き継いでいかないと」。次の勉強会では、戦争体験者から話を聞こうと企画している。

 東京都西東京市の井口雅好さん(79)は六歳の時に空襲を体験。「男手がないから、おばあちゃんやお母さんが、爆撃で埋まった負傷者をがれきから掘り起こしていた」と振り返る。

 海軍の特攻隊だった叔父の豊明さん(93)からは終戦後に「もう一日終戦が遅れていたら出撃だった」と聞かされた。「戦没者への負い目があるのか、今も戦争について語ってくれない」という。その代わり、自身の体験談を高校生と中学生の孫にしている。平成最後の終戦の日に「若い人には少しでも昔の歴史をひもといて、何があったかを知ってほしい」と願った。

 おじたちが従軍医として戦地に赴いたという横浜市の会社員荒川啓子さん(51)は「ここに来ると、先祖の方々の多くの犠牲の上に、今の平和があることを実感する」と涙目で語った。

 東京都世田谷区の三田イクさん(81)は空襲の時、防空壕(ごう)から見た、真っ赤な空を忘れられない。親類がフィリピンで戦死し、仲の良かった同級生もちょうど終戦の日に病死した。「戦争は、勝っても負けてもつらいことしかない」と痛切に感じている。

 (中沢誠、望月衣塑子、原田遼)

 

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