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【社会】

ガダルカナル島兵士の「遺書」発見 散り行く身真心が贈り物です

陸軍の便せんに記された遺書(木龍克己さん提供)

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 太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島(現在のソロモン諸島)の戦闘に参加した兵士が、妻とみられる女性に宛てた手紙が、米国立公文書館で見つかった。軍当局の検閲を受ける前の段階の遺書とみられ、総攻撃で戦死を覚悟し「私の一生の真心が只(ただ)一つの贈り物です」と淡々と記している。七十六年前の筆致が、戦争のつらさや悲しさを今に伝えている。 (加藤行平)

 戦傷病者の記録を伝える「しょうけい館」(東京都千代田区)の学芸課長、木龍(きりゅう)克己さん(61)が、ワシントン郊外の米公文書館分館で戦傷病者の記録を調査中、米軍が回収した資料から見つけた。

 木龍さんによると、手紙は「陸軍」の便せん一枚に青色インクで書かれていた。「九月三日 ソロモン群島 ガダルカナル島に於(お)いて記す」で始まり、「決戦が迫りました 散り行く身の一筆残します」と別れの決意を記していた。末尾に「久男」、宛名は「千代子殿」と名前だけが書かれ、宛名のない封筒に収められていた。

 戦史叢書(そうしょ)(防衛研修所戦史室)によると、一九四二年八月、日本軍が同島に造った飛行場を米軍が占領。奪還を目指した日本陸軍は部隊を逐次投入し、同月二十日に「一木(いちき)支隊」が、翌九月十二日には「川口支隊」が総攻撃を行ったがいずれも失敗、多数の戦死者を出した。冒頭の「九月三日」はこの川口支隊の攻撃の直前に当たる。

 木龍さんは手紙を書いた日時と具体的な場所、「敵機の攻撃が激烈」など戦闘の様子が記されていることから、「検閲を受ける前の段階の手紙」とみている。「検閲を意識すれば『国のため』『天皇陛下のため』など大義名分に触れてしかるべきだが、一切書かれておらず、検閲を受けていないことが推測される」とも指摘。「一兵士が妻を気遣う気持ちが素直に伝わってくる。上官が攻撃を前にペンと紙を与え、遺書を書かせ、兵士も書きたいことを書いたのではないか」と推測している。

 手紙は戦闘後に米軍が回収したとみられるが、その経緯は不明。川口支隊は九州の部隊だが、「久男」さんの生死やフルネーム、「千代子」さんが誰なのか、分かっていない。木龍さんは「本人や家族が判明すれば、お伝えしたい」と話している。

◆手紙全文 

九月三日 ソロモン群島 ガダルカナル島に於(お)いて記す

重大なる作戦に参加いたし 男子として無上の喜びを感じます 連日敵機の攻撃又(また)激烈です

決戦が迫りました 散り行く身の一筆残します

生前の厚情 有難く思います 何一つ出来ず残念ですが 私の一生の真心が 只(ただ)一つの贈り物です

弱い君です 御身(おんみ)御大切に 強く生きて下(くだ)さい

私の言葉を忘れず 一本立ちになって一日も早く女としての生活へ入られるよう 私は君の身を護(まも)ります 私の戦死に 万歳の一声を叫んでやって下さい 君の今後の生活が 私を生かしてくれるのです

立派に生き抜いて下さい 御多幸を祈ります

  久 男

千代子殿

 ※原文は、漢字以外は片仮名 

<軍事郵便に詳しい新井勝紘(かつひろ)元専修大学教授(日本近代史)の話> 検閲を考えず兵士の正直な気持ちが表れている。「最後の手紙」ということで、配慮しないで書いた、検閲前の手紙だろう。検閲は軍内部でブラックリストに載っているような兵士が主な対象で、同じ釜の飯を食った、ごく一般的な兵士にはさほど厳しくなかった面もあった。この手紙では場所や日時以外は認められたかもしれない。兵士も届くと思って書いたのではないか。

<ガダルカナル島を巡る戦い> 1942年8月、日本軍が建設した飛行場を奪うため、米軍はソロモン諸島ガダルカナル島に上陸。日本軍は、奪回を目指して部隊を逐次投入したが、敗退を繰り返した。ジャングル内に追い詰められた兵士は、飢餓とマラリアに苦しみ「餓島(がとう)」とさえ呼ばれた。約半年に及ぶ戦闘の後、大本営は撤退を決定、兵士約1万1000人を撤収した。餓死者も多く陸軍兵士計約2万800人が戦没、上陸兵士の66%が亡くなった。米軍の本格的反攻の第一歩で太平洋戦争の転換点となった。

 

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