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【社会】

<つなぐ 戦後73年>幻の高畑戦争映画 ジブリ企画書、児童文学作家が原作

スタジオジブリが今回公開した、幻の映画「国境」の企画書

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 今年四月、八十二歳で死去したアニメ映画監督の高畑勲さんが作品化を志し、果たせなかった戦争映画がある。名古屋市の児童文学作家、故しかたしん(本名・四方晨)さんの作品を原作とした「国境 BORDER 1939」。戦前の中国大陸を舞台に、日本の侵略にあらがうアジアの若者たちの連帯を描こうとしていた。東京新聞はスタジオジブリ(東京)から企画書を入手。日本の若い世代が無意識のうちに戦前と同じ道に進まぬようにと、歴史の教訓を映像で伝えようとした高畑さんの思いがうかがえる。 (林啓太)

 映画の企画書によると、主人公は、現在のソウルにあった旧京城帝国大予科の日本人の男子学生。失踪した親友を捜すため、旧満州国の秘密警察に追われながら、謎の美少女とともに中国東北部やモンゴルの二万キロを駆け抜ける物語だ。

 企画書が完成したのは一九八九年四月中旬。その中で、高畑さんは問題意識をこう記していた。

高畑勲さん

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 「経済大国となった日本が、無意識のうちに過去と同じ道を辿(たど)る危険を冒さぬために、映像でも、あの時代の歴史を若い世代に伝えたい」「外国が自分の国へ侵入し、文化を押しつけてきたら、もっと強烈に自国を意識することになる。逆に他人の国へ侵入する側に立った場合どうなのか」

 ともに映画化の企画に取り組んだスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(70)によると、高畑さんは日本による韓国併合(一九一〇年)後の、日本人と朝鮮人の関係に関心を抱いていた。そして「大陸での戦争を舞台に、日本人とは何者かを問い掛け、『心の中の国境』を巡る物語をつむごうとしていた」と代弁する。

 企画書ができた直後の八九年六月、中国で天安門事件が起きた。人民解放軍が民主化を求める学生や市民を武力弾圧し、日本は批判的な姿勢で臨んだ。鈴木プロデューサーによると、そのような情勢下で映画化しても興行として成り立たないとの判断から、断念せざるを得なかったという。

◆「国境BORDER1939」 〜あらすじ〜

 1939(昭和14)年春、満州国軍の士官学校「満州軍官学校」の生徒、田川信彦が軍事演習中に姿を消した。旧制中学時代の親友で、旧京城帝国大予科生の山内昭夫が真相を探ろうと満州に行く。信彦は、実は秘密裏に田川家の養子となったモンゴルの王族の子。自らの出自を知り、母国に侵略を図る日本への抵抗運動に身を投じていた。昭夫は自分が侵略国の国民であることへの自覚を促されながら、満州放送の看板娘で正体はやはりモンゴル王族の子である原田秋子ら、朝鮮や中国、モンゴルの抗日地下組織の若者らの助けでモンゴルに向かう。彼らの後を満州国公安局の冷酷な日本人の秘密警察官らが追う。映画化構想は、86〜89年に完成した原作の3部作のうちの第1部。

しかたしんさん=遺族提供

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<しかたしん> 児童文学作家。1928年、ソウル生まれ。旧京城帝国大から敗戦を機に転入した愛知大法経学部を卒業。在学時に中部日本放送に入社し、劇団かもめ(現・劇団名古屋)で活動。72年に「むくげとモーゼル」を出版、73年に名古屋市を拠点とする児童劇団「うりんこ」を創設するなど、児童文学や青少年演劇に尽力。日本児童文学者協会理事や愛知大短期大学部教授(演劇論)などを務めた。2003年に75歳で死去。

 

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